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ADC のカートリッジ_07

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今日はなんとのっけからお詫びしなくちゃならなくなりました!
前回、ADC カートリッジの三世代のうち、第一世代が一番音がイイって書いたんですが、あれ、訂正させてください。
 
これもアンプが替わったことが関係してるんだと思います。
以前はそう思ってた・・・つまり、10E Mk II に代表される第一世代が最高だと思ってたんですが、今日、改めて聴き直したところ、第三世代の XLM が全然悪くない・・・どころか、むしろこちらの方がイイ!
 
聴き比べに使ってるレコードは前回、前々回と変わらずバッハのバイオリン・ソナタですが、今回はレオニード・コーガン&カール・リヒターのやつ。
これも名盤ですよね。

あんまり好きなんで、アナログ現役時代から持ってた日本盤に加えて、独・オイロディスク盤、それに仏・Le
chant du monde 盤と三種類揃えちゃった。
 
イメージ 1
 
エッ? で、どれが一番イイんだ、ですって?
ううん、どれもイイなァ・・・。
決して同じ音がするわけじゃないんですが、どれが一番ってことはないです。
日本盤は、何って言うか、音が沈んだ感じでちょっと暗いんですが、だからと言ってキライじゃあない。
 
仏盤はやはり滑らかな美音なんですが、あまりに滑らか過ぎて、弓が弦をコスる感触が希薄。
そういう意味じゃ、独盤が一番リアルと言うべきなのかなぁ・・・。
 
が、それはイイとして ADC カートリッジに話を戻しますとね、この第三世代の XLM、アンプが Amphion になった今、改めて聴いてみると凄くイイんですわ。
 
実を言いますと、このモデルは特に欲しくて買ったわけじゃなくって、とある別の中古製品を買ったときにオマケで付いてきた・・・、それも新同品が二個。
片方は単に XLM となってて、もう一方はSuper XLM って書いてありますが、たぶん実質的には同じものでしょう。
 
が、入手の経緯がそんな事情でしたんで、ちょっとしか聴いてなかった・・・。
これもブログ効果のひとつですな、この記事を書くためにその気になって比較試聴してみたところ、あまりにイイ音で鳴るんでビックリした次第です。

だけど、アンプが NEC の時にはもっとずっと大人しい音で、繊細ではあるものの第一世代には及ばなかった。
ところが、今、Amphion で聴いてみるとまったく遜色ありません。
 
イメージ 2
 
本体の方は基本的に第一世代と同じだろうと思うんですが、スタイラスに改良が施された結果じゃないでしょうか。
この第三世代に至って初めてムク針も導入されたようですし・・・。
 
周波数特性としては、同一の条件で測定されたものじゃないんで本当の比較にはならないのかもしれませんが、日本ビクターによる実測データを見ますと、第二世代の 10E Mk IV のような10 KHz から上での急激な減衰は見られません。
2 KHz から上で徐々に下降線をたどるものの、減衰量は 20 KHz 付近に至っても 3 dB といったところです。
 
ただ、第一世代ほどにはフラットじゃないんで、それが NEC のアンプで聴いた時には印象の薄さにつながってたんだろうと思います。
とにかく、Amphion ではまったく文句のない素晴らしい音で鳴ってます!
 
ですから、前回申し上げたことは撤回させて下さい。
オリジナル・スタイラスを見つける困難を克服してまで第一世代の 10E Mk II に拘る必要はないです。
もっとも、造りの良さに関しては第一世代に軍配が上がりますので、所有する喜びはこちらの方が大きいかもしれませんが・・・。
 
さてさて、そんなわけで第三世代 XLM の音の良さを再認識したのす爺ィでありますが、もともと今日おしゃべりしようと思っていたのは、こういった世代別の話じゃなくって、ADC に共通する針圧の微調整の大切さのことでした。
 
このインデュースド・マグネットIM型というのは、もともとカンチレバーを短くした上に、コイルやマグネットを取り付ける必要が無く、軽い磁性体のパイプを結合するだけという構造ですので、振動子の実行質量を極端に軽減できるという特徴があります。
 
ADC はこの特徴を第一世代から一貫して追及してまして、だから、当時の風潮もあってか、徹底的にハイ・コンプライアンス化して、極度の軽針圧での演奏を可能にしていました。
トラッカビリティという用語を作って宣伝してたのは、ご承知の通りシュアー社なんですが、たぶん、トラッカビリティの実際の値は ADC カートリッジの方が上だったんじゃないかと、のす爺ィは疑ってます。
 
スペックの上でも、初代の 10E の指定針圧は 0.5 – 1.0 gという値でして、これが不安定だという不評を買ったために改良されたのが、のす爺ィも持ってる 10E Mk II です。
が、それでも 0.5 – 1.5 g という軽針圧で、その後も、第二世代の 10E Mk IV では 0.7 g が指定針圧ですし、第三世代の XLM 0.6 – 1.0 g と、まァどれもこれも一様に 1 g を切る針圧でトレースが可能だと謳ってます。
 
でね、のす爺ィが実際に使ってるモデルに関してしか断言はできないんですが、実際にそういう 1 g 未満の針圧で十分なトラッカビリティが得られます。
今、これを書きながら掛けてるのは XLM ですが、針圧は 0.8 g に設定してまして、まったく何の問題もありません。
 
こういうところがまた、LP プレーヤー・フェチにはタマラナイわけでして、のす爺ィが ADC を偏愛する理由の一つになってます。

ただ、こういう軽針圧で安定した演奏をさせるためには、まずもってレコードの条件が良くなきゃダメですよね。
つまり、反りやキズのあるレコードは掛けられない。
それに、いくら反りのないレコードでも多少の上下動や偏芯はあるでしょうから、組み合わせるアームは実行質量の可能な限り小さい軽量タイプがマストになります。

初代 10E が不評を買った背景には、当時・・・つまり 1966 年の段階では、ってことですが・・・ そういう条件を満たすアームがまずもって少なかったのと、ユーザーの意識がそこまでついて行ってなかった、っていう事情があったんじゃないでしょうか。
 
アームに関して言いますと、なにしろ SME S II improved の登場が 1972 年ですからね。
のす爺ィはやってみたことはありませんが、S II ならたぶんトレースするだろうと思います。
今、のす爺ィが組み合わせてるのが 3009R でして、このアームの実行質量がほぼ S II と同等ですので・・・。
 
でね、それはイイとして、問題になるのは、じゃあ、針圧をある程度増してやれば、レコードやアームの悪条件をある程度カバーできるのか、ってことです。
 
この話になりますと、もう一度、このカートリッジのメカニズムを見ていく必要があります。
シュアーの MM 型なんかですと、カンチレバーの反対側のマグネットの取り付けてある部分は筒状のスリーブの中に収められてますよね。
んでもって、その後端はテンション・ワイヤーでもってスリーブの後端部と結ばれてます。
 
スリーブがカートリッジ本体の穴に挿入されますと、その周囲をポール・ピースが取り囲むような形になる。
で、適正な針圧が掛かった時にスリーブ内でマグネットの位置がちょうど真ん中の理想的な位置に来るよう設計されてます。
設計はそうなんですが、これが何らかの事情で少々ズレたとしても、磁気回路が設計者の意図した状態から大きく外れるようなことはありません。
 
それにまた、テンション・ワイヤーもありますから、そもそもマグネットの位置がそうズレることは考えにくいし、仮にレコードの反りによって針先に過大な力が掛かったりしてもダンパーがスリーブ内に収められてる以上、その変形がリニアな部分を超えてしまえば自然にそこで止まる・・・つまり、それ以上にマグネットの位置がズレていくことはないでしょう。
 
一方、ADC の場合は、マグネットの代わりを務める磁性体のパイプはポール・ピースに取り囲まれるんじゃなく、それとほぼ一直線に縦並びするような位置関係になります。
スタイラス・アッセンブリーを完全に取り付けない状態の写真をお見せしますね。
 
イメージ 3

上の写真のスタイラス・アッセンブリーは完全に取り付けられた状態にはなってません。
あともう少し左に押しつけられて、はじめて本体に密着することになるわけです。

が、そうなった暁にも、ホンのチョットだけ突き出ている磁性体のパイプは、本体側の穴の中に入るところまでは行かない、ってことが、この写真からお分かりいただけますよね。
また、そもそも本体側には浅い窪みがあるだけでして、MM 型のように長いスリーブを受け入れられるような深い穴はありません。
 
シュアーなんかの針交換を思い浮かべてもらえば分かると思いますが、MM 型のスタイラス・アッセンブリーは、スリーブ部分がカートリッジ本体の穴に嵌り込むことによって固定されるわけですよね。
だから、プラスチック製のホルダー部分は単にスタイラス・アッセンブリーを指先でつまみ易くする役割しか持ってない。
これが少々グラグラしていたところでカートリッジの性能には影響しません。
 
一方、ADC の場合は、スタイラス・アッセンブリーの固定が、他ならぬあのプラスチックのホルダーと本体との嵌め合わせによって行なわれるわけです。

ですから、この部分の役割は非常に重要で、遊びがあってグラグラしたんじゃあどうしようもありません。
10E Mk II の場合など、本体とスタイラス・アッセンブリーの嵌め合わせは非常にキツくて、グラグラどころか、引き抜くのに相当な力が要ります。
 
一方、カンチレバーの動きは非常に自由で、MM 型の場合に比べれば、ほとんど無制限と言っていいほどの頼り無さでもってフラフラします。
ADC の場合、コンプライアンスが非常に高いことから、針圧の掛かってない状態ではカンチレバーは 45 度くらいの角度で下に伸びてますが、これが適正針圧を掛けますと 15 度にまで撓むわけです。
 
でね、こんなに動きの大きいカンチレバーに取り付けられてる磁性体のパイプがですよ、本体側の窪みにちょっとだけ顔を覗かせてるポール・ピースの端っこと一直線に並んでなきゃイケないってことです。
ここで互いの位置関係がズレちゃいますと磁気回路が途切れる・・・(まァ、大げさに言えば、のハナシですけど・・・)結果になりますので、これは非常にマズイ。
 
エッ? そんな事態が実際に起きるのか、ですって?
うん、まァ、程度問題だとは思いますね、ズレが大きくなるに従って徐々にモンダイが顕在化してくるわけですからね。
つまり、段々と音質が低下してくる・・・。
 
一体、何がどうなるに従って、段々と低下してくるのかと言いますと・・・、
というところで、今日もずいぶんおしゃべりしましたし、続きは明日にでも。
フッフッフ・・・ じゃ、皆さん、良い連休をお過ごしください。
 
 

ADC のカートリッジ_08

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昨日は Gyao! の無料映画で《バルバロッサ》を観てました。
やっぱり・・・チャチかった。 想像以上にチャチだった・・・。
だけど、タダなんだから文句言っちゃあイケマセンよね。
・・・でもなァ・・・、観なきゃよかった。
 
で、気を取り直して ADC のカートリッジについてのおしゃべり再開します。
 
前回の続きですけど、そう、そうなんですよ、ADC のカートリッジは針圧の掛け過ぎがヨロシクない。
針圧は掛ければ掛けるほど音が悪くなると思った方がイイ。
 
もちろん、少な過ぎて針飛びを起こしたり音がりビリついたりしちゃあダメに決まってますし、そこまで行かなくても、トレースが不安定になるんじゃないかと不安を感じるようなら、精神衛生云々以前に、音楽を楽しむような気分になれませんので、それはマズイですけど、そうならない範囲でできるだけ軽い方が望ましいんですよ。
 
前回も引用した山本武夫著『レコード・プレーヤ』(日本放送協会 1971 年)には、10EMk II の針圧を少しずつ増しながら、その時の出力を測定したグラフが載ってまして、それによりますと、なんと針圧 0,5 g から・・・っていうことは、つまり出だしからもう下降線をたどり始めてまして、針圧1,0 g で既にマイナス 1 dB、そいで1,5 g ではマイナス 23 dB 程度になっちゃってます。
 
残念ながら測定に用いられた周波数の値は載ってませんが、全帯域で一様に出力低下するはずもないわけで、こうした感度の低下は要するに歪みとなって現れると考えられます。
ある値で一挙に悪化するわけじゃないんで、聴感上はなかなか気づきにくいかもしれませんけど、音質は確実に低下すると考えるべきでしょう。
 
で、そんなに針圧を軽くして、トレースの方は大丈夫なのか?っていう点ですが、のす爺ィは技術者でもなきゃ、オーディオ・マニアでさえない(また出たんで、単なる憶測や想像の域を出るような話はもちろんできません。
が、少なくとも大丈夫じゃなさそうだっていうネガティブな雰囲気は感じられません。
 
で、こういう問題に関しては何といっても振動系の実効質量が圧倒的な重要性を持つと考えられます。
カンチレバーを目で見た感じでは特別な印象はなく、材質はアルミで、結構太くって、しかもスタイラス・チップは第二世代まで接合針でしたから、シュアーの V15 シリーズなんかに比べてむしろ鈍重な感じがします。
 
ですが、軽針圧に拘ったメーカーだけに、実際には結構凝ってるらしい。
 
まずもって、この結構太く見えるカンチレバーなんですが、径は 800 μm だそうです。
当時の他の製品のデータを持ち合わせないんで、例えば Shure V15 シリーズのヤツと並べた写真を載せときますね。
例えば、同時代対決ということで、type II 用の VN-15E 10E Mk II 用の R-12E を並べますと・・・
 
イメージ 1
 
ざっとこんな感じ。
数値が挙げられなくて申し訳ないんですが、ADC の方が太短いのはお分かりいただけますよね。
VN-15E の径は 600 μm ってとこでしょうか・・・。
 
材質はたぶんどちらも似たようなもんなんじゃないかと思います。
この頃の米国製カートリッジはたいていどれも UT-58 っていうアルミ合金を使ってるらしいんで・・・。
 
で、カンチレバーはパイプ状の形状ですんで、径だけじゃなく厚みも問題ですよね。
これまた ADC のデータしか持ち合わせが無いんですが、これは 25 μm だそうです。
Shure については知りません。
ご存じの方がおられたら教えていただけると嬉しいです。
 
で、厚みについてはとりあえず置いとくとして、’70 年代のライバル同士、V15 type III 10E Mk IV のスタイラスを並べてみますね。
 
イメージ 2
 
ADC の方は Mk II の時と同寸法で、厚みも変わってないみたいです。
つまり、800 μm 径/25 μm ってことです。
 
いかがですゥ?
Shure の方も type II の時から変わってないように見えますよね。
残念ながら今度も Shure のデータが無いんで、特に厚みについては不明です。
 
ただね、Shure でも、もっと後の世代の type V になりますと、こちらはご存じのとおり材質がベリリウムになっちゃうんですが、これの寸法は取説で自慢げに(?)公表されてますんで、これが比較のための参考材料にならなくもない。
 
まずは写真ですが、先ほどの’70 年代対決のさらに右に V15 type V 用の VN5MR を並べてみました。
 
イメージ 3
 
なんか一番左のやつにピントが合っちゃってて他がボケちゃってますね、ゴメンナサイ!
が、右端のベリリウム・パイプが一段と細いのはご確認いただけると思います。
 
で、こいつの寸法なんですが、18 mil 径/0,5 mil だそうです。
このインチ寸法をメートルに換算しますと、ざっと 457 μm 径/12,7 μm ということになります。
 
厚みの方は写真ではまったく見えないわけですが、径に関しては、実際のところ、中央のADC のヤツが、まァ右端のベリリウム・パイプのざっと二倍くらいに感じられますよね。
 
厚みの方もざっと二倍ということになるわけですが、シュアー社がいかにも自信ありげにベリリウム・パイプの寸法を取説に書き込んでるのを見ますと、それ以前の彼らのアルミ・パイプ製カンチレバーの寸法はこれよりもかなり大きかったんじゃないかと思われます。
恐らくは ADC 製のやつと大差無かったんじゃないでしょうか。
だとしますと、ADC のカンチレバーの短さがアドヴァンテージを持っていたんじゃないかと推測されます。
 
こういうカンチレバーに、これまたごく軽量なパーマロイのパイプを取り付けて、しかも運動の支点が重心にごく近いところに来るよう、これまたごく柔らかいダンパーを組み合わせることによって、あの35×10-6 cm / dyne
だの、さらに高い50×10-6 cm / dyne だのといった極端なハイ・コンプライアンスが実現されてたんでしょう。
 
イメージ 4
 
少なくとも額面上はたぶんアナログ・オーディオ史上最高と思われる50×10-6 cm / dyne を誇る XLM は、昨日と同じ 0,8 g の針圧でチェンバロの音も実に鮮烈に再生してくれてます。
 
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これものす爺ィの大好きなレコードでして、レオンハルトの弾くバッハのパルティータ、独・ハルモニア・ムンディーですが、日本盤とフランス盤を持ってまして、この盤に関しましては仏盤がかなりの差をつけてベターです。
ドイツ・プレスのは残念ながら持ってません。
 
じゃ、今日もこんなところで失礼・・・ って言うか、ADC カートリッジについてのおしゃべりは今回でオシマイになるんじゃないかなぁ・・・。
たぶんそうなりますんで、皆さん、ご清聴どうも有り難うございました。
 
 

ADC のカートリッジ_09

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なんか前回でこのシリーズを終わりにするようなことを言ってたんですが、ひとつ大事なことを言い忘れてましたんで、もう一回つづきをやらせていただきますね。
も~、のす爺ィ、連休ボケですな。
 
まァ、連休とは言いましても、要介護老人を抱えてるもんですから、どこかへ出掛けるわけにもいかず、昼間からレコード聴きながらうたた寝して、だから頭もボケるっていう、グータラもいいとこのお粗末ではあります。
だけど、こういう意味でもインターネットとかブログとかいうのは強い味方ですね。
昔だったらうつ病かアル中にでもなりかねない生活を強いられても、こいつがあれば全然平気。
 
さてさて、忘れてたその大事なことっていうのは、振動系の位置決めについての問題です。
 
ご存じのように、針先はレコードの回転に従って溝の方向に引っ張られるわけですよね。
で、この引っ張られる力については、以前、インサイドフォース・キャンセラーについてのおしゃべりでかなり突っ込んで問題にしたんですが、単純な動摩擦係数で以って測ることのできるような代物じゃあなかった。
 
このスラスト方向の張力は、例え理想的な状態のレコードだったとしても音楽信号の状態によって変わるはずですし、これに加えて盤に反りがあったりした日にゃあ、もう何がどうなるか分からんほどの大幅な変化が予想されます。
 
で、こういう張力によって振動子が前後に動いちゃいますと、当然ながら音は歪むことになりますから、これに対応すべく、MM 型や IM 型、MI 型のカートリッジを作ってるメーカーは色んな工夫をした。
MC 型ではどうなんだと言いますと、これは元々針交換を考えない行き方ですので、オルトフォンの SPU が既に出発点からテンション・ワイヤーで振動系を引っ張る構造を採用してました。
 
その後の各社のモデルも、のす爺ィの知る限りすべて同様の方法で位置決めをしてますし、これも既にお話しした DECCA は材質こそ金属じゃありませんが、やはり針先に近い部分をワイヤーで引っ張ってました。
 
が、これらのモデルは全部、針交換のできない構造になってるわけで、そういう割り切りをしちゃえば問題はないんですが、針交換の可能性を確保するタイプのカートリッジでは大きな問題になります。
シュアー社は、あるいはスタントンとのパテントのバーターか何かによったのかもしれませんが、ご存じの通りスリーブの後端部にテンション・ワイヤーの端を固定するやり方でこの問題をクリアしてました。
 
で、ADC はどうしたのか?
前回、前々回とお話してきましたように、ADC のスタイラス・アッセンブリーにはスリーブがありません。
ですから、パテント云々以前に、構造上、シュアーやスタントンのような方法は採れないわけで、実際、のす爺ィが持ってるスタイラスにはどれもテンション・ワイヤーはありません。
 
ところが、ちょっと謎なのは、既に引用しました山本武夫氏も、また海老沢徹氏も、このテンション・ワイヤーが備わっている ADC スタイラスに言及しておられるんですよね。
 
もちろん、スリーブは存在しないわけですから、シュアーやスタントンと同じ形でテンション・ワイヤーを取り付けることはできません。
そこで、スタイラス・アッセンブリーの裏側部分にあるちょっとした突起の先端と、振動系の支点に近い部分とを、いわば斜めに結ぶ形でそれが張られているんだと・・・。
 
海老沢氏はPoint4 モデルには無かったが、次の世代の 10E にはそれが設けられて、恐らくはその効果で混変調歪が減少しているとも言っておられる。
のす爺ィの持っているのは 10E Mk II であって、初代 10E じゃありませんから、この言明について確かめることはできないんですが、率直に言いますと、ホントかなぁ~?って気がしないでもない。
 
まずもって、物理的に難しいような気がするんですよね、そんな固定の仕方って・・・。
ただ、第一世代のモデルに関しては、絶対にできないかというと、そんなことはないと思います。
 
気になるのは、下の写真のブルーの矢印で示した部分に奇妙な切り欠きがある点です。

イメージ 1

これがテンション・ワイヤーを固定するためのものだとしたら・・・?

また、もう一方の固定点たる振動系の支点付近なんですが、これも実は、絶対ムリかと問われますと、たぶんそんなことはないという気がします。
 
なぜかと申しますと、ADC のダンパーにはその形状にかなりの工夫が見られまして、カンチレバーが取り付けられる部分は、裏側から一種のザグリが入れられてて、だから本当にダンパーが挟み込んでいる部分は極小なんですよ。
 
なぜこんなことがしてあるのかと申しますと、まずはカンチレバーを可能な限り動き易くしてコンプライアンスを極度に上げるためですわね。
でも、それだけですと、本当にフラフラになって動きのコントロールができないんで、この極小の支えの部分の周囲にいわばもう少し大きな井戸を掘るような形で円筒形の穴が設けてある。
 
こうしておけば、例えばレコードの反りに当たってカンチレバーが過大に撓みますと、ある一定の角度まで撓んだところで “井戸” の井戸端に当たって、それ以上の動きにストップが掛かる・・・ って言うか、掛かり始める。
ちょうどクルマのサスペンションで言いますとバンプ・ラバーに相当するような役割を果たしてくれるわけです。
 
だから、何が言いたいのかと申しますと、やろうと思えば、ダンパーに邪魔されることなく、運動の支点に至近の位置にワイヤーを固定することも、理論上は不可能じゃあないってことです。
ただし、飽くまでも「理論上は」です。
 
実際にそんな工作が可能かどうかは、のす爺ィには何とも言えません。
ただ、シュアーやスタントンの場合に比べて、あるいは MC 型の場合に比べても、相当メンドーなことになり、大幅なコスト・アップになるであろうことは想像に難くない。
 
それにもう一つ付け加えたいのは、仮にそのような形でワイヤーを張ったとして、その角度が理想からはかなり離れたものにならざるを得ないという点です。
なぜかと言いますと、問題になる盤面からの張力はカンチレバーを水平方向に引っ張る形で働くわけですが、山本武夫氏や海老沢徹氏のおっしゃってるようなワイヤーの張り方ですと、水平に対してかなりの角度が付いちゃう。
 
だからなんですよね、山本武夫氏や海老沢徹氏のおっしゃってることが、あるいは本当なんじゃないかという気がする一方、現実にはあり得そうにない気もしてくるのは・・・。
この辺り、初代 10E のオリジナル・スタイラスを持ってる、あるいは見たことがあるっていう方がおられたら是非教えていただきたいところではあります。
 
が、とにかくですね、話を元に戻しますと、上の写真から分かりますように、R-12E の方はダンパーの金属枠がああいう形で出っ張ってて、その出っ張りの中央部にちょっとした切り欠きがありますから、まァ、ここにテンション・ワイヤーを取り付けることが不可能じゃなさそうに見えます。
 
でも、第二世代のR-15E の方は、上の写真でご覧いただけるようにプラスチックの庇みたいなものが少し張り出してはいますが、ただそれだけでして、テンション・ワイヤーなど取り付けることはハナから不可能です。

また、第三世代について申しますと、こちらもプラスチックの庇 (赤い矢印) は突き出してますが、これは明らかに本体の方にある金属の庇 (青い矢印) と噛み合わされることによってスタイラス・アッセンブリーの固定を確実なものとするためのものです。
 
イメージ 2

ですから、たとえ第一世代の初期モデルにそのようなワイヤーが張られていたのだとしても、それは ADC としてもむしろ例外的なことであって、ほとんどのモデルにあってはそのようなものが存在しなかったことは間違いありません。
 
つまり、このスラスト方向の張力に対する有効な対策が打てないというのが、ADC カートリッジの最大の弱点だったんではないかというのが、のす爺ィの推測です。
Shure V15 シリーズなんかに比べてどうしても音に鋭さが欠ける、詰めの甘さが残るような感じがするのは、たぶんこのせいなんじゃないかと・・・。
 
ですが、今日はこの記事を書くためにインターネットをあれこれ見てたら、これまでに言ってきたことに間違いがあるのが見つかったほか、新たなデータも見つけちゃいましたんで、今回はとりあえずここまでにしますけど、まだ続編をやらなくちゃならなくなりました。
 
昨日は8回目にして、ご清聴有り難うござい・・・なんて寝ぼけたことを言ってましたが、こうなると少なくとも十回行くことは確定です・・・〔笑〕。
 
 

ADC のカートリッジ_10

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なにやかやインターネットを漁ってましたら、ADC の特に第三世代のカートリッジについて今まで知らなかったことが色々と出てきちゃいました。
 
前にも言いましたけど、この世代のカートリッジはのす爺ィがリアル・タイムで知ってたモデルじゃありません。
XLM Super XLM っていう二個を持ってはいるんですが、それは特に欲しくて買ったものじゃなく、オマケで付いてきたものなんで、ノスタルジーも何もなくって、だからちょっと試し聴きしただけで特に情報を集めることもしないまま放ってあったわけです。
 
イメージ 1
 
が、今回、ブログで ADC をテーマにおしゃべりするに及んで、もちろん第一世代と第二世代がその主要テーマではあったものの、この第三世代についても若干は触れることになりました。
それは、この世代が一体なぜ第一世代の構造に先祖がえりしちゃったのかという点が気になったからでした。
 
そうしたら、いつも有り難いアドバイスやコメントを下さるしんのすけ様が、パテント絡みだったんじゃないのか? っていう甚だ示唆に富んだアイデアをお寄せ下さいまして、そこから俄然興味が湧いてきた。
それにまた、以前聴いてみた時には特別な感動は無かったんですが、今回はアンプが NEC からAmphion
に代わってたせいでしょう、すごくイイ音で鳴りだした。
 
まッ、そんなわけで、ノスタルジーとは無関係ながら、あれこれ調べようという気になった次第です。
ところが、この第三世代の ADC カートリッジはもの凄くたくさんのモデルが出てる上に、その名称がかなり分かりにくく、しかも各モデルのスペックに関する情報がまた甚だしく混乱してる。
 
ですので、のす爺ィも正直言いまして、何がどうなってるのやら、まだよ~分からん・・・。
 
とりあえず、自分の持ってる二つのモデルについて分かったことから申しますと、これまでテッキリ両方とも実質的に同じものだろうと思ってたんですが、そうじゃなかった!
こんなこと、ご存じの方にとっては常識なんでしょうけど、頭に Super の文字の付いてるヤツは、当時の 4 チャンネル方式の CD-4 用のモデルでした。
 
だから、スタイラスはシバタ針ですし、当然、本体のスペックも他のモデルとは大きく違います。
どう違うのかと言いますと、インピーダンス、インダクタンスともにずっと低い。
ただ、具体的な数字となると、情報源によって一定してません。
 
これは他のモデルについても言えることなんで、数値をご紹介するのが厄介になるんですが、基本的に XLM シリーズというのは、初代機から Mk II へ、そしてMk II improved、さらには Mk IIIMk III improved ・・・
という具合に進化していったようで、それぞれの本体のスペックで一応分かったのは、例えば・・・
 
 
R
L
C
 
XLM
 
 
200 pF
カタログ値
XLM Mk II
625Ω
360 mH
275 pF
カタログ値
635 Ω
350 mH
450 pF
Boston Audio Society
XLM Mk II imp.
820 Ω
580 mH
275 pF
カタログ値
XLM Mk III
820 Ω
580 mH
275 pF
カタログ値
810 Ω
812 mH
 
海老沢徹氏 測定値
Super XLM
375 Ω
300 mH
100 pF
Boston Audio Society
Super XLM Mk II
280 Ω
160 mH
100 pF
カタログ値
 
・・・てな感じです。
これらのうちブルーの数字 ADC のカタログに載ってる値になります。
 
残念ながら、のす爺ィの手許にある初代 XLM と、同じく初代の Super XLM については、XLM の推奨キャパシタンスの 200 pF というのを除いて諸元が発表されてないのか、のす爺ィには見つけられませんでした。
ただ、Super XLM については、1975 年にBoston Audio Society が公表した値というのが Vinylengine のフォーラムに載ってましたし、XLM Mk III については海老沢徹先生が測定された値が見つかりましたんで、それを黒字で挙げときました。
 
頭にSuper の文字のついたモデルは、そんなわけで特殊な用途のものでして、のす爺ィの聴き比べたところでは、普通のレコードを演奏した場合の音質は普通の XLM に劣ります。
 
ちなみに、第三世代の各モデルの名称ですが、XLM っていうのは eXtremely Low Mass の頭文字だそうでして、他のシリーズは・・・
QLM: QualityLow Mass
VLM: VeryLow Mass
ZLM: virtually ZeroMass
といったことになるんだそうですが、ZLM Lってのは何なんだ?なぁんていうイジワルはやめときましょうね。
 
この命名からも分かるように、基本的にこれらは同一仕様の本体に組み合わせるスタイラスの実効質量の大きさの順になってるみたいで、ですから、Mk II なり Mk III なり、あるいは improved が付いてたらそれはそれで独立のシリーズになるわけですが、それらの中でのQLMVLMXLM といったモデルは単にスタイラスの違いであって、使用するアームの実効質量に合わせてスタイラスを選択するということのようです。
 
ところで、ADC がこういったスペックを公表するようになったのは第三世代を待ってのことでした。
初代 XLM の公表値が見つからなかったってさっき言いましたけど、これ以前の第一、第二世代のモデルでは、針圧のようなユーザーにとって必要最小限のデータだけしか取説に載ってない場合が多く、それの示し方もモデルによって指定針圧の値ひとつだけだったり一定の範囲だったりと、統一がとれてません。
 
残念なことですが、このあたりにも、モデル名や外観に見られる混乱と軌を一にするところがあるように感じられます。
シュアー社の製品に比べて公表される情報量が圧倒的に不足してましたし、商品戦略も練れてないという印象を免れません。

そうそう、こういったデータの不統一に関してひとつ補足しとかなきゃいけないのは、XLM のコンプライアンス値についてです。
これも情報源によって50×10-6 cm /dyne となってたり、65×10-6 cm / dyne (!)となってたりするんですが、これに関しては数字が不正確なんじゃなくって、垂直方向と水平方向で値が異なってるんです。
 
前回のおしゃべりで ADC のダンパーの特殊な形状について触れましたよね。
あの、“井戸”の中に小さな穴があって、そこをカンチレバーが貫通してるっていう構造なんですが、そのカンチレバーが貫通する穴ってのは、“井戸”の底の中央に空いてるんじゃないんですよ。
 
これは針圧が掛かった状態になった時に、磁性体のパイプがちょうど本体側のポール・ピースと正しい位置関係になるよう、故意に中央から少し下の方にズラせてあるわけです。
で、このために上下方向と左右方向でコンプライアンス値が異なる結果になってまして、だから垂直方向では
50×10-6 cm / dyne、これに対して水平方向では65×10-6 cm / dyne という極端に高い値になるようです。
 
いや、連休で暇があったからではありますが、ブログを書くためにあれこれ調べることになって本当に良かった。
お付き合いくださいました方々には深くお礼申しあげます。
 
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今日はまたバッハのバイオリン・ソナタに戻って、ヨーゼフ・スーク&ルージィッチコーヴァのスプラフォン盤を聴いてます。
これも大大大好きなレコードです。
 
もう一つはグスタフ・シュマールの弾くエテルナ盤。
これはちょっと変わってて、チェンバロに加えてヴィオラ・ダ・ガンバも入る三重奏風の演奏でして、すごくイイ!
どちらも全然高いレコードじゃありません。
 
じゃ、今度こそ ADC カートリッジについてのおしゃべりをこれにて終了とさせていただきますね。
ご静聴、有り難うございました。
 
 

続・アンプのその後・・・ほか_01

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なぁんか、三菱自動車の不正問題はまだまだ終わりが見えない感じですね。
のす爺ィは子供の頃から技術者に憧れてまして、自分もなりたいなんて、身の程知らずもイイとこのことを大学に入るまで夢見てまして、それは完全なる失敗に終わっちゃったんですが、でも、今に至るまで技術者はもの凄く尊敬してまして、だから、このニュースを見るたびにフクザツな想いに駆られずには居られません。
 
昔、何かの本か雑誌で読んだんですが、三菱自動車という会社は技術者をとても大切にする社風が伝統になっていて、だから、たまにどうかすると、それが逆にうまく機能しなくって不完全な製品ができちゃう、ってなことを聞きました。
 
例えばテスト・ドライバーっていうのは要するにメーカーのお抱え運転手なんで、仮にも技術者のような偉い人にそんな仕事をさせるわけには参らぬ!ってワケで、クルマを設計した技師様は試運転の時にも後席でふんぞり返ってて、それが運転席のテスト・ドライバーに向かって、加速しろ! ブレーキを掛けてみろ右に旋回しろそこの坂を登れ! みたいに命令するんだと・・・。
 
そんなわけで、例えば、ハードなコーナリングを続けると、デフの中でギア・オイルが遠心力で一方に寄っちゃって、そのために焼きつきを起こすトラブルがあったんだけれど、自動車ジャーナリズムが何度それを指摘しても直らなかった。
 
確か、徳大寺有恒氏だったと記憶するんですが、何かの機会に三菱の技術者を乗せて山道を走る機会があったんで、その時に問題を指摘するべく、デフが焼きつきを起こすようなハードな走り方をして見せたところ、なるほど、こういう走り方をした時のことだったのか、これなら簡単に直ります、ということで、デフ・ケースの中に仕切りを設けてオイルが片寄らないようにした・・・っていう話でした。
 
まァ、これはずいぶん昔の話ではあるんでしょうけど、今問題になってるようなスキャンダルも、ひょっとすると社内で技術者に向かって何か言えるような・・・つまり、問題があってもそれを指摘できるような・・・雰囲気が、あるいは無かったのかもしれませんね。
 
もちろんのす爺ィなんぞには、今回の三菱の問題にそういう背景があったのかどうか全く分かりませんが、それはそれとして、人間、いくらウデに自信があっても、やっぱり謙虚さを失わないようにしないと、いずれヤケドをすることになりかねないような気がします。
まッ、ウデに自信などカラっきし無いのす爺ィには無用の心配ですが・・・。
 
さてさて、壊れちゃったNEC A-10 type IV に代わってのす爺ィが中古購入しましたAmphion のアンプ、音がイイのは結構ながら、今まで馴染んできたカートリッジの音が一変しちゃいまして、相性がイイのから悪いのまで、何が何やら分からなくなった・・・、ってことは既にお話ししましたよね。
 
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で、例えば、オーディオ・テクニカの AT32 / AT33 シリーズだとか、ELAC MM 型、それに ADC XLM なんかが“良くなった”方の最右翼でした。
 
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これらは、今まではどうものす爺ィの好みに合わなかったり、あるいはこんな筈じゃないんだけどなぁ~みたいな冴えない音しか出なかったり、あるいは、悪くはないもののイマイチ影が薄かったり・・・ってなモデルだったんですが、一転して素晴らしい音で鳴りだした。
 
その一方、逆のヤツもあるわけでして、今回はそっちのおしゃべりを少々・・・。
 
まずは Van den Hul です。
このブランドは元々ライン・コンタクト・タイプの針先のメーカーとして出発したようで、当初は EMT のカートリッジの改造品を商品にしてた。
 
のす爺ィの持ってるMC-1 AC あるいは MC-1 BC っていうモデルは、そうした最初期の Van den Hul 製品だったようです。
 
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このカートリッジそのものにつきましては、今を去る三年ほど前、野晒与太郎先生に刺激されてのす爺ィがブログを始めて間もない頃に取り上げさせていただきました。
のす爺ィにとりましては今やこれも思い出に属するブログ開設当初、Hadcock のトーン・アームについてのシリーズの中でちょいと脱線してのことでした。
 
で、このカートリッジは、初めてその音を聴いた時から、その素晴らしさはちょっと別格と言いますか、他のモデルとは次元の違う迫真の音を聴かせてくれてまして、もう、本当にのす爺ィの部屋の中で演奏してるんじゃないか、っていう感じの実在感がありました。
 
ところがですね、アンプが Amphion になってから、その異次元の迫真性が、なんと、失われてたんですよ!
ですが、これに関しましては、原因が必ずしもアンプじゃないのではないかという懸念・・・と言うよりも期待がのす爺ィにはあった。
 
今日は、気がかりになってたその一件を解決したお話をさせていただきたいと思います。
 
原因がアンプとは別のところにあるんじゃないかと思ったのは、アンプの交替に伴って、プレーヤーとの繋ぎ方を変えた・・・っていうか、変えざるを得なかったからです。
 
つまり、以前はこのカートリッジを取り付けてあるプレーヤー・・・それは TD321 に内部配線を太くしてもらった
SME 3009R を組み合わせたやつなんですが・・・このプレーヤーからダイレクトに Amphion Phono MC
入力に入れてました。
 
このAmphion Phono っていうフォノ・アンプには、入力端子が二組付いてまして、一方が MM 入力で、もう一方が MC 入力になってますんで、二台のプレーヤーを接続しておいてスイッチでどちらかを選択するようになってます。
 
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便利なシステムですよね。
ちなみに、このアンプ、MM 入力でも凄く音がイイ!
が、まァそんなわけで、のす爺ィはこの MC 入力の方に Van den Hul からのケーブルを繋いでたわけです。
 
ところで、このカートリッジって、EMT TSD 15 がベースではあるんですが、針先が Van del Hul になってるだけじゃなくって、コイルもダンパーも、そしてモデルによってはカンチレバーも変更されてまして、インピーダンスはもの凄く低くなってる。
 
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オリジナルの EMT がご存じの通り 24 Ω 0.2 mV の出力を出してるのに対しまして、Van den Hul
MC-1 はたったの 3 Ω という低インピーダンスで、出力はざっと半分の 0.115mV というスペックです。
 
これはのす爺ィの素人考えではあるんですが、MC カートリッジって、インピーダンスが低いヤツほど、ハイ・ゲイン・イコライザーに直結するよりは昇圧トランスを介した方が音が良さそうな気がしま・・・せんかね?
このあたり、知識のあるオーディオ・マニアの方のご意見がいただけたら嬉しいんですが、のす爺ィは何となくそんな気がしてました。
 
だって、インピーダンスが低けりゃ電流が流れやすいわけだから、トランスが効率よく働くんじゃないのか・・・、って。
だから、Van den Hul を入手した当初もいろいろやってみてたわけですよ、いろんなトランスに繋いで・・・。
 
ですが、今日はもう結構な分量になりましたし、とりあえずはこんなとこで一休みとさせていただきますね。
最後に今聴いてるレコードについて・・・
 


オスカー・シュムスキーのバッハ無伴奏です。
これは米国の MHS (ミュージカル・ヘリティッジ・ソサエティ)のレコードですが、英国でも発売されたみたいでして、音は結構違います。
 
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英国盤はASV (Academy Sound and Vision) っていうレーベルから出てまして、こちらの方が、まァ良く言えばまろやかな音になってますが、切れ味に関してはオリジナルの米国 MHS 盤に劣ります。
実際、MHS のレコードはどれも音がイイので有名ですよね、これもその例に漏れません。
 
音もイイけど、演奏もすごくイイです。
でも、日本では発売されなかったみたい。
 
じゃ、皆さん、お休みなさい。
 
 

続・アンプのその後・・・ほか_02

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昨日のことですが、またまたのす爺ィを興奮させるニュースが飛び込んできました。
セバス・チャンドラ・ボースの死に関する新証言です。
 
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この人の名は、日本ではのす爺ィなんかよりももっと前の世代・・・戦前派とか戦中派の人でないとなじみが薄いんじゃないかと思いますが、のす爺ィは子供の頃から戦記物をよく読んでましたんで、インターネットのニュースを見て、おおッ!となった次第です。
 
アクセス解析を見ますと、のす爺ィブログに来て下さる方は 60 才以上の男性が圧倒的に多いんで、あるいは釈迦に説法になっちゃうんじゃないかとも思うんですが、中には若い人もおられるので一言だけ申しますと、セバス・チャンドラ・ボースは、無抵抗主義のマハトマ・ガンディーと袂を分かって軍事行動による対英独立戦争を目指した人です。
 
日本軍とも協力してたんですが、大東亜戦争末期にソ連に亡命しようとして台北から陸軍の飛行機で飛び立ったものの、謎の墜落事故が起きて死亡しました。
 
この時、彼は飛行機に大量の金銀財宝を積み込んだと言われてまして、それが行方不明になっていること等から、彼のソ連亡命を阻止しようとした日本軍による謀殺だったという説もあります。
だけど、別に証拠があるわけでもないことから、戦争中の謎のひとつに数えられてる。
 
当時のインドでは・・・って言うか、今でもインドでは相当な人気のある人のようで、実際には台北で死んだんじゃなく姿をくらましたんだとか、果ては飛行機事故そのものが捏造だ、みたいな、なんか、義経=ジンギスカン伝説とか、赤髭帝バルバロッサ伝説みたいなものまで生まれてるらしい。
 
のす爺ィの若い頃の友人だったインド人の男も、彼自身、このセバス・チャンドラ・ボースと同じベンガル系だったせいか、非常に尊敬してたのを覚えてます。
 
で、その問題の台北の飛行機事故なんですが、まさにその飛行機の乗組員の一人で生き残った整備兵の人が今になって毎日新聞の取材に応じたんだそうです。
 
離陸前の整備も担当した人みたいなんで、かなり信頼できる情報なんではないかと・・・。
結局、やっぱり単なる事故だったっぽいですね。
ちょっと似た話としては文革中の林彪事件がありますが、こちらもソ連崩壊とともに何か耳寄りな情報が出てくるかと思いきや、特にそんな話も聞きませんし、こりゃあ永久に謎のままになりそうな気がしないでもないですね。
 
とにかく、セバス・チャンドラ・ボースはすごくカリスマ性のあった人みたいで、遊説先では金持ちと貧乏人とを問わず、彼の演説に感動してその場で身に付けている貴金属類を寄付する人が大勢いたらしい。
で、そうした財宝の行方が分からなくなってると言うわけですが、まァ飛行機と一緒に燃えちゃったんじゃないでしょうか。
 
ところで、のす爺ィがこの人についてのニュースにおおッ!となったのは、インパール作戦との関連からでした。
この話題になるとのす爺ィは無用にコーフンする可能性が高いんで、ここで止めときますけど、子供の頃にはただ戦記物としての興味から読んでいたインパール作戦ものでしたが、不惑に至る頃からは、段々と自分自身の生き方にもその影響が及んでるのを自覚するようになりました。
 
上からのムリな命令やムチャな指示に従って失敗しても、命令した連中は現場に責任を押し付けて詰め腹を切らせるだけで、決して自分たちの指示に問題があったとは認めません。
納得できない命令や指示は、どれほど上司の不興を買おうとも、断固拒否するゾ!っていう生き方をするようになったのはその頃からでした。
 
不思議なことに、そういう決意を固めてから以前よりもむしろ万事うまく運ぶようになった・・・。
まッ、だからと言って、お若い方々にこういうやり方を無責任にお勧めするつもりはありませんけどね〔笑〕。
 
話は変わって、三菱自動車、寄らば大樹の陰・・・なんて言ってたのす爺ィは呑気に過ぎましたね。
だけど、日産はやっぱりゴーン社長だからこういう決断ができるんでしょうね。
三菱の不正については、一体いつの時点で把握し、どんな対応の可能性が検討されたのか気になりますよね。
いや、検討なんかしないのか・・・、ゴーン氏が独りで決めちゃうんだから・・・。
 

さてさて、Van den Hul MC-1 ですが、これが低インピーダンス・低出力型だからってんで、持ってるトランスで合いそうな奴に繋いでは鳴らし、繋いでは鳴らし、したってとこでした。
ですが、いろいろやってみての結論としては、このカートリッジ、トランスなしで Amphion Phono MC入力にダイレクトに繋ぐのが一番音がイイ、ってことでした。
 
ですので、それが確認できてからというもの、最近まで常にそうやって聴いてきました。
ところが、今回のアンプの交替を機に、トランスを介する繋ぎ方になっちゃってた。
 
理由は実にバカバカしいことなんですが、プリ・アンプのAmphion Line と、前から使ってた Amphion Phono
とは完全に同サイズなんですよ。
ですので、まァ本当は望ましくないことなのかもしれませんけど、この二台を積み重ねることと相成った。
 
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下になる方にキズがつかないよう、アクリル板を同じサイズに切って敷きましたが、とにかく二台を重ねて使うことにしたわけです。
で、その二台重ねたヤツを置く位置がですね、諸般の事情からVan den Hul のプレーヤーとはこれまで以上に距離を置かざるを得なくなって、今までのケーブルじゃあ届かなくなっちゃった。
 
もっと長いケーブルにすりゃイイわけですが、できることならプレーヤーとフォノ・アンプの間のケーブルは短くしときたいですよね。
まァ、MM 型じゃないんで、それほどウルサク考える必要はないんでしょうけど、それでも、出力が 0,115 mV なんて小さな値ですと、気分的にもできれば短くしときたい。
 
それにですね、TD321 っていうターン・テーブル、これはのす爺ィの大好きなモデルではあるんですが、ひとつ面倒なのはケーブルの交換が厄介ってことなんですよ。
トーン・アームそのものは、四本の木ネジで留めてあるアーム・ベースに固定してあるだけなんで、これを外してアーム・ケーブルを付け外しするのは簡単。
 
ところが、ケーブルはその後、狭い穴を通して外に出すようになってるんで、ピン・プラグがそこを通過できないんですわ。
 
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だから、アーム・ベースを外してトーン・アームからケーブル取り外しても、それをプレーヤーから完全に外して交換するには、金属製のベース・プレートも外さなくちゃならない。
 
このターン・テーブルの独特な構造については、これまた既におしゃべりのテーマにしましたんで繰り返しませんが、上の説明じゃよ~ワカランという方は、なんでしたら過去頁をご覧ください。
もっとも、こちらの頁をご覧いただいても、写真のヘタさ、説明文のマズさゆえにあんまり分かり易くはないかも知れませんが・・・。
 
トーレンスも他の多くのモデルならキャビネットの底板を取っ払っちゃうとか、あるいは底板に空いてる穴をチョコチョコっとデカくしてやって、ピン・プラグ付きのケーブルくらい自由に出し入れできるようにしちゃうんですが、このモデルではそういうワケに行かないんですよね。
 
まッ、そんなわけでケーブルの交換が面倒くさかった。
エッ? だから、どうしたんだ、って?
 
うん、だから、とりあえずプレーヤーとAmphion Phono の間に昇圧トランスを噛まして MM 入力に繋いだわけですよ、とりあえずの処置としてね。
もちろん、どうせとりあえずの処置なんだったら、継ぎ手を使ってケーブルを延長してもよかったんですが、それよりはトランスを噛ませる方がマシかなぁ~・・・みたいな気分でした。
 
接点の数としてはどちらも同じなんですけど、トランスを噛ませれば、それ以降はフォノ・アンプまで比較的高い電圧で信号が送られるわけし、まァ、その方がイイのかなぁ、くらいのノリでした。
 
が、そうやって Amphion に繋いでみたら・・・、ウ~ム・・・音がイマイチになっちゃってたんですよ。
実はまだやってみてないんですが、継ぎ手を使った延長ケーブルでAmphion Phono MC 入力まで持ってくるやり方も試してみようとは思ってます。
 
その結果次第では、長めのケーブルを用意してそういう接続に戻すことも考えてますんで・・・。
でも、今のところは、こうやって↓ Amphion とは別のフォノ・アンプをすぐ近くに侍らせてます。
 
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もちろん、すぐ隣のフォノ・アンプ・・・ご覧のとおり、Shelter 916 ですが・・・までは最短のケーブルで繋ぎました。
 
・・・っと、ここでまた例によって脱線なんですけど、ケーブルって皆さんはどういうのを使ってらっしゃいますゥ?
のす爺ィはなにせ LP プレーヤー・フェチなんで、アーム・ケーブルとしては抵抗やら静電容量やらが気になりまして、できるだけ短いケーブルにしてます。
 
だから、その時々で必要に応じた長さのヤツを準備するんですが、高級ケーブルとか何か特別に凝ったものは使ってません。
ケーブルそのものも、組み合わせるピン・プラグも、せいぜい二、三百円の安物。
 
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ただ、ケーブルは安物ではあっても二芯シールドのヤツにしてまして、まァ、実際には、んなもん、高々数十 cm にしかならない長さですし、単芯ケーブルで全然問題ないと思うんですが、気持ちの上で、やっぱシールドはシールドだけ独立させときたい気分なんで・・・〔笑〕。
 
でね、ここでまた、電気やオーディオの知識のある方に教えていただけたらと思うことがあるんですけど、二芯ケーブルの場合、接続するときの向きが気になりますよね。
あれって、ホントのところ、どうなんでしょうかね?
 
が、今日も結構しゃべり散らしましたし、こんなとこで失礼しますね。
電気のことが分かる方に教えていただきたい点につきましては、明日にでも詳しくお話ししますんで、どうぞよろしくお願い致しまーす。
 

続・アンプのその後・・・ほか_03

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ケーブルのことを話題に・・・と言うか、質問したこところ、早速にかの KT 様からコメントをいただくことができまして感謝です!
 
いやね、のす爺ィはオーディオ・マニアじゃなくって(また出た) 単なる LP プレーヤー・フェチですんで、ケーブルへの関心も専らフォノ・ケーブルに限られてます。

だけど、そうは言っても、その先のアンプやトランスなんかの接続も必要なわけでして、いずれにせよ置き場所との関係でちょうどイイ長さのケーブルが使いたくって、モガミの 2549 っていう二芯ケーブルを適当な長さに切っては使ってます。
 
マルチ・アンプで高度なスピーカー・システムを駆動なさってる KT 様は、音質の統一を図るために同一のケーブルを採用なさってるそうですが、そのような高度な目的とは全く無縁ののす爺ィは、単にこのケーブルが安価で、しかも太過ぎず柔らかくって使いやすいからというだけの理由でこれを使ってる次第。
 
二芯ケーブルを使う理由も、まァ、単なる気分からです。
つまり、シールドはシールドで信号の経路からは独立してた方が何となく好ましそうな雰囲気だし・・・ってな感じで、理論的な知識や裏付けは一切なし。
 
実際には、んなもん、単芯ケーブルと変わらんでしょう。
だいたい、フォノ・ケーブルって、トーン・アームに付属してるヤツにしたって、何万円もする高級フォノ・ケーブルにしたって、みんな単芯ばっかりなわけで、二芯を使うことはまず間違いなく無意味。
 
だけど、どうせお楽しみのためのオーディオ遊びですし、害がないのなら余計なことでも楽しみにしちゃおう・・・っていうお気楽な感覚です。
 
で、今回ブログでこんなおしゃべりをしてて、ふと思ったんですが、ホントに害は無いのかなァ・・・って。
だって、何万円もするフォノ・ケーブルなら、カッコ付けのためだけでも二芯が採用してあっておかしくないんじゃないの?っていう気がしてきた。
 
が、まァ、恐らくは特に問題ないんでしょう。
知識のある人からは、そもそも必要がないんだから二芯ケーブルなんか使うな!って言われるのがオチなんじゃないかとは、のす爺ィも思いますけどね。
 
実際、5 pin プラグを使うアームには、のす爺ィだって単芯しか使ってませんし、SME S II なんかも専用のプラグですからもちろん単芯・・・っと言いかけてちょっと不安になり、確認してみたら、いや、やってました。
プラグはオリジナルの専用プラグですが、ケーブルはやっぱり 2549 にして、シールドをコールド線に結合してた

うん、思い出してみるに、あの SME の純正フォノ・ケーブルって、のす爺ィ的にはすごく印象が良くない。
故障してヒドイ雑音が出ることが多かった。
ピン・プラグのところに静電容量の調整用のコンデンサーが仕込んであるのがマズイんでしょうかね?

この辺もオーディオに詳しい方に教えていただけると嬉しいところですが、とにかく、あのケーブルはトラブルの元になることが多かったんで 2549 に交換しちゃったわけです。
で、その際にはやっぱりシールド線をコールドに接続してました。
 
これって、そうやった方が作業が簡単ですよね。
つまり、二芯のうちの一方をシールドと一緒にしてピン・プラグのコールド側にハンダ付けするのは簡単ですが、そうせずにシールド線を浮かせとこうと思うと、ショートしないように短く短く切り詰めとく必要が生じます。
 
のす爺ィはそんなに短く切り詰められるほど手先が器用じゃないんで、熱収縮チューブを被せて絶縁してますが、それにしても面倒には違いない。
つまり、今回、Van den Hul のカートリッジを付けた SME を Shelter のフォノ・アンプに繋ぐために準備したケーブルがこれなんですが・・・
 
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こいつのプラグの部分だけをお見せしますとね・・・
 
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でね、こうやって片一方の端でだけシールドをアースするようにしとくのはごくフツーのやり方だと思います。
両端とも同じようにくっ付けちゃったらループができてハムを引くんじゃないかと・・・。
 
ただ、こうやりますと、ピン・ケーブル自体が非対象になりますよね。
となると、実際にこれを使うに際して、どっち向きに使うのがイイのか、っていう問題が生じるワケですよ。
のす爺ィはそう迷うこともなく、シールドをアースした側、つまり上の写真の左側をフォノ・アンプに接続してます。
 
だって、トーン・アームにせよ、ターン・テーブルにせよ、みんなフォノ・アンプにアースしてますもんね。
逆にアームの側でシールドをアースした場合、なんかの事情でシールド線に微弱な誘導電流が流れたら、それは結局アーム側でコールド線に流れ込むことになって、そうすると、コールド線の持ってる R のせいで電圧が生じて、フォノ・アンプ君にとってはアースの電位が変動することになるんじゃないかと・・・。
 
で、フォノ・アンプ君はアースの電位を基準にして音楽信号を処理しますから、結局、信号もそれにつれて乱れることになる・・・。
もちろん、そうなっちゃあマズいから、やっぱシールド線はトーン・アーム側じゃなくフォノ・アンプ側でアースしとかなくっちゃ。

違いますかね?
オーディオに詳しい方からコメント頂戴できましたら嬉しいです。
が、説明してもらったところで、どうせのす爺ィには理解できん可能性が高いか・・・〔涙〕。
 
でね、ここまでは一応のす爺ィの考え方が間違ってないと仮定したうえで、次の話をさせていただくんですが、フォノ・ケーブルとしてじゃなく、プリ・アンプとパワー・アンプの接続にこのケーブルを使うとしたらどうなんでしょうか。

この場合は、どうもインピーダンスの高い方にアースを落とすべきだ、っていうことらしいんですが、それはなぜなんでしょうかね?
 
シールド線に微弱電流が流れて、それにより電位差が生じたとして、もしそれがプリ・アンプ側でコールド線を通じてアースされた場合、まずもってパワー・アンプ側よりもインピーダンスが低いんで電流がより大きくなりますし、そいつがもしコールド線を通じてパワー・アンプの方まで流れちゃったりしたら、さっきと同じ理由から信号への影響が出る・・・とかいうハナシなんでしょうか?
 
でも、だとしたら、それは信号経路の下流でアースするべきだ、っていうことであって、個々の機器のインピーダンスの高低とは必ずしもカンケーの無い話になりますよね。
まァ、現実には信号の下流にある機器の方がインピーダンスは高いのが普通でしょうから、結果的には同じことを言ってることになるのかも知れませんけど・・・。
 
それに、もうひとつのす爺ィに分からないのは、これとは逆の接続の仕方を推奨してるメーカーもあるらしい、ってことなんですよね。
どちらの主張にせよ、素人にも納得できるような理由の説明はしてくれてないんで、たぶん、それぞれの主張にはそれなりの理屈があるんだろうと思われるんですが・・・。
 
今、Van den Hul を取り付けてある SME 3009 R の内部配線をオリジナルよりも太いものにしてくれた某ショップのサイトには、アースはインピーダンスの高い方に落すものなんであって、逆のことを言ってるメーカーは単に無知なんだ、って書いてあるんですけど・・・。

ホントに単なる無知なのかなァ~、ってのす爺ィは考え込んじゃう。
だって、ちゃんとした一流メーカーの中にもそう言ってるところがあるわけでしてね。
 
以前も何かの機会に言ったと思いますけど、のす爺ィは権威主義者じゃありません。
でも、自分で理解する能力が無いことに関しては、専門家の権威をやみくもに否定する気にはなれないんですよ。

ただし、できれば根拠は知りたい。
まッ、素人に理解させるのは容易じゃないんだろうとは思いますけど・・・。

 
 

続・アンプのその後・・・ほか_04

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いやぁ!・・・ちょいと脱線してフォノ・ケーブルを話題にしたところ、KT 様やらしんのすけ様やら、のす爺ィなどとは次元の違うレベルの方々からいろんなコメントを頂戴することになり、恐縮するやら新情報に驚くやら、も~ビックリですわ!
 
なんと!バランス接続対応の昇圧トランスやフォノ・アンプが登場してるというハナシでして、まァ、アナログに凝ってらっしゃるオーディオ・マニアの方々にとっては恐らく常識だったんでしょうが、のす爺ィはオーディオ雑誌はまったく見ませんし、も~ひたすらノスタルジーに耽ってばかりでしたんで、今の今までそんなものがあるとは知りませんでした。
 
今回のおしゃべりでは、元々、単に Van den Hul MC-1 を取り付けたプレーヤーがフォノ・アンプから遠くなって、以前使ってたケーブルじゃ届かなくなちゃったもんですから、これを一体どーしたもんじゃ・・・っていうところが脱線の始まりでした。
 
とりあえず、深い考えもないまま、間に昇圧トランスを挿入することによって実質的にフォノ・ケーブルを延長してやろう、なんていうゴマカシをやったんですが、そうしたら音が悪くなっちゃった。
 
そこで、やっぱこのカートリッジはトランスとの相性が良くないんだ、ってことを思い出しまして、じゃあ、ってことで
Amphion Phono に繋ぐのはとりあえず諦め、別のフォノ・アンプをすぐ隣に置いて、そこまでの短いケーブルを用意したわけです。

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が、ここで、のす爺ィはいつも使ってるモガミの 2549 っていう二芯ケーブルを使ったもんですから、どっち向きに使うのがイイのかね?ってな話になってきた。
二芯のうちの一方をホット、もう一方をコールドにして、シールド線は片方の端でだけコールドに接続して・・・とやりますと、ケーブルの内部が非対象になるもんですから、どっち向きがイイのかなぁ?ってわけです。
 
そうしたら、KT 様が、ご自分はなんと三芯ケーブルを使って、XLR プラグにしてるんだ、と教えて下さった。
この段階では、のす爺ィはそのお言葉の意味も充分に理解しないまま、そうか、そうなのかァ・・・と思ってノホホンとしてました。
 
が、それに続いて今度はしんのすけ様が、カートリッジから昇圧トランスやフォノ・アンプへの接続も今はバランス接続の時代なんだヨ、って教えてくださった。
 
だから、これを聞きまして、さすがに鈍いのす爺ィもガビーン!となった。
そうだったのか、KT 様がそんなややこしい接続をしてらっしゃるウラには、そんな事情があったんだ!っと、まァ、やっとこさ自分の浦島太郎ぶりに気づかされたわけです。
 
そこで、おっとり刀でインターネットを紐解きまして、しんのすけ様がおっしゃってた製品を捜し出しました。
他のメーカーにもあるんでしょうが、とりあえずはフェーズメーションっていう会社のサイト・・・。
 
ありました、ありました・・・バランス伝送型フォノケーブル!
 
う~む、二芯シールド線を使って、片一方の端には RCA プラグ、で、もう一方にはXLR プラグが付いてる・・・。
でも、それとは別にアース線も・・・。
なんじゃ、こりゃあ??? 一体どーなってんの
・・・ってわけで、説明をよく読んでみますと、
 
RCA ケーブルは、通常単芯シールドのアンバランスケーブルが使用されています。しかし、RCA出力のトーンアームのマイナス側は、グランドに落ちていないものがほとんどです。
・・・ と書いてある。
いや、そりゃそうでしょう・・・ っていうか、この製品以外は ほとんどじゃなく全部がそうなんじゃないですかね?
 
で、もう一種、こちらは 5 pin プラグを付けたタイプの商品もあります。
 
こっちのタイプは、5 pin の中央の端子で受けるアームのアースが、恐らく左右両チャンネルのシールド線と独立のアース線という三本に繋いであるんでしょうな。
 
が、ここでの説明はMC(ムービングコイル)は、コイルの発電ですからプラス・マイナス共に非接地で振幅しているため、本来バランス型であるにもかかわらずアンバランス受けで使用されており、・・・云々となっていて、しんのすけ様がおっしゃってた 「本来バランス型だ」 っていうのは、やっぱり のす爺ィが思ったような意味だったようです。
(それはそうだけど、非接地で振幅しているため・・・ って、日本語、オカシクないですかァ? 「振幅する」たぁ言わんでしょう! まァ、言いたいことはワカランでもないですけど・・・。)
 
それに、これは別に MC 型に限ったハナシじゃありませんよね。
さらにイジワルついでに言わせてもらうと、・・・バランス受けの伝送は残念ながら普及していません って書いてあるんですが、そりゃ、必要ないから普及してないんじゃないの?
これからは普及するのかなァ~。
 
いずれにせよ、要するにのす爺ィが 「トーン・アームのアース」 と呼び習わしてるヤツを二芯ケーブルのシールド線に担わせる、ってことでしょう。
だけど、反対側は XLR プラグが付けてあるんだから、どう考えても独立のアース線は不要ですよね。
 
が、内部の構造はたぶんそうなんだろうとは思ったものの、肝心のバランス接続に関してもうチョイ詳しい説明は無いのかいね?と思いながら、昇圧トランスの頁を開いてみますと、おお、こんな説明図が載ってました。
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うん、やっぱりそうですね。
で、こっちには独立のアース線のところに説明書きがあって アース線は接続しなくても良い場合がありますですって。
いや、そりゃそうでしょう、んなもん 接続しなくても良い場合があるんじゃなくって、どんな場合も全く必要ないんじゃないでしょうか。
 
が、それはそれとして、確かにこういう繋ぎ方をすれば、LP プレーヤーからフォノ・アンプまで一応バランス接続になりますよね。
しんのすけ様が、アームまできちんとアースさせることが重要なんだっておっしゃってたのは、こういうことだったんですね!
カートリッジのボディとトーン・アームの間が断絶しちゃってたら、そりゃダメですもんね・・・。
 
ただ、そこから先、トランスからフォノ・アンプへの伝送はこれでイイんすかね? 
この辺はのす爺ィにはよ~分からん。
 
いずれにせよ、こういうことなんだったら、別に XLR プラグじゃなくても、普通の RCAプラグだってできますよね。
左右チャンネルのシールド線をプラグとは独立に引き出して、二本まとめた上でアース用の端子を付けときゃ、それで OK なんじゃないでしょうか。
違いますかね?
 
のす爺ィが間違ってないとしたら、ウチでもやれそうですが、5 pin プラグの方はなにせ小さいから二芯ケーブルを付けるのはムリでしょうし、SME の旧式なソケットでもブキッチョなのす爺ィにはやっぱり難しそうです。

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やってみるとしたら、両端ともRCA プラグのケーブルでしょうね。
 
独立のアース線が無くなるわけだから見た目がスッキリすると思いますし、それに何より、あの、どっち向きで使うのが望ましいのか、っていう例の問題がなくなる!
うん、今度の日曜にでも、こういうフォノ・ケーブルを用意して Van den Hul の接続に使ってみることにします。

結果はまたこのブログでご報告するようにしますね。
たぶん、音は何も変わりませんでした、っていうご報告になっちゃうんだろうとは思いますけど・・・。
 
 

続・アンプのその後・・・ほか_05

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なんと、今夜もまたお詫びから始めなくちゃならなくなりました!
無責任ブログの面目躍如たるものがあるんですが、フォノ・ケーブルのおしゃべりが出発点になってしんのすけ様からバランス接続の情報がもたらされ・・・っていう展開だったせいか、のす爺ィは頭がオカシクなっちゃってました。
 
仮にフォノ・ケーブルだけをバランス接続にしても、それ以後が対応できてなかったらどーしよーもありません。
これは昨夜 kameaomura3 様からいただいたコメントに寝ぼけ眼で回答しながら、・・・ン?なぁんかヘンだよなァ、のす爺ィの言ってることって・・・と疑問に感じ始めたことでした。
 
カートリッジの方は一種の・・・ っていうか、文字通りの交流発電機なんで、こっちはイイんですが、信号を受ける側にはトランスが要ります。
バランス伝送って、両側にトランスを置いて、その間でやるんですよ。
 
だから、のす爺ィはここでやっと、例のフェーズメーションっていうメーカーの説明図の見方が不足してたことに思い至りました。
あの会社が昇圧トランスへの接続に拘ってたのは、ここで・・・ つまり、トランスのところでバランス受けをしちゃおうって腹だったんですね。
 
MC型ばっかりを相手にしようとするのもそのせいでしょう。
そうでないと、バランス伝送のためにトランスを入れなきゃならなくなる。

そんなことしてたら接点も増えるしイイことなんて何もない・・・ っていうか、もともとさして問題になるほどのノイズもない所でたかだか数十センチのフォノ・ケーブルで繋ぐのにバランス伝送なんて酔狂なことやってる意味がなくなっちゃいます。
 
だから、のす爺ィが言ってた、あのフォノ・ケーブルの計画はチャラ・・・ にしようとも思ったんですが、だけど、どうせ二芯ケーブルを使うんだったら、ああゆう繋ぎ方にすれば接続の向きを気にする必要がなくなるっていうメリットはありますよね。
 
だけどなぁ・・・ たったそれだけのために? いや、まァ、退屈した時にやってみてご報告します。
それに、ホットとコールドが完全に同一条件っていうのは何となく気分イイ・・・ こともないか・・・〔笑〕。
っと、まぁ、そんなわけで、バランス接続についてのおしゃべりはのす爺ィの頭の混乱の生み出した妄想でした。
 
閑話休題、今日は少し前に購入したって言ってました・・・ しんのすけ様からいただいたコメントへのご返事だったような気がしますが・・・ADC の第三世代カートリッジの中の変わり種、Integra XLM っていうモデルが届きましたんで、それについておしゃべりしますね。
 
だけど、安かっただけにあんまりキレイな品じゃありませんでした。
 
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まずもって、スタイラス・アッセンブリーに組み込まれてるマグネットがポロリと取れちゃってた。
が、こんなのは接着剤でくっつけてやりゃイイだけの話なんで、そう大したことじゃありません。
で、これだけかと思ったらまだあった。
 
このカートリッジはシェルと一体設計になってるわけですが、それは元々が軽量化が大きな目的のひとつでしたんで、全体で 12 g という重量に収まってます。
が、それとは別に、首を縦に振る・・・っていうか、垂直方向に角度が調節できるんですよね。
 
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これは要するにトーン・アームの高さが調節できないような場合にもレコード盤面と水平が保てるように、っていう配慮です。
ですが、そんな高さの調節も出来ないようなトーン・アームって、なんか、相当な普及品っぽいですよね。
高性能カートリッジには相応しくないような感じがします。
 
ただですね、のす爺ィが思うに、ADC が立ち向かわなきゃならなかった問題のうち最大のものが実はこれだったんじゃないかって気がしなくもない。
つまり、それこそフェーズメーション社みたいにごく一部の高級オーディオ・マニアだけを相手に高価な製品をちょびっとだけ作るっていう商売をしてたわけじゃありませんよね、彼らは。
 
だから、普及品マーケットを無視するわけにいかなかった・・・どころか、ある意味、こっちが本来のお客だった。
でも、元々、あの IM 型っていうのは超のつく軽針圧動作を得意としてたわけで、それには例えば SME S2
improved みたいな実効質量の小さい高感度アームと組み合わせる必要があった。
 
実際、その種のアームに組み合わせさえすれば、恐らく当時のシュアー V15 シリーズを凌ぐトラッカビリティを発揮したと思われるんですが、重量級のアームあるいは感度の良くない雑な造りのアームに取り付けられた日にゃあ実に悲惨なことになった。
 
そういうところから、こりゃ使いにくい製品だ、なんていう評判が立っちゃいますと、これは彼らにとって由々しき問題だったんではないかと、かようにのす爺ィは思うんですよね。
あの VLM とか QLM といった、故意にコンプライアンスを落としたモデルをラインナップしていったのも、たぶんそうした理由からでしょう。
 
で、そういった一般マーケット対応策の一つが恐らくはこの“首振り”メカニズムだったんではないでしょうか。
となりますと、シェル一体化によって軽量化を追求するのはイイけれど、それをやり過ぎてオート・チェンジャーのような高さ調節のできない普及品クラスのアームや、高性能ではあっても特別に軽量級というわけではないようなアームとの相性が悪くなるのも困りものですよね。
 
そんなわけで、この Integra シリーズのモデルには、わざと重量を増すためのウェイトが用意されてたんですよ。
それはこんな風に首振り調節用のツマミに両側からネジ込むものでした。
 
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のす爺ィの購入した品にも、このウェイトが取り付けてありました。
が、当然ながら、のす爺ィはこんなもの邪魔ですよね。
で、外そうとしたんだけれど、これがテコでも動かない。
 
仕方が無いので、接触面がプラスチックになってるペンチに挟んで回そうとしたら、このウェイトがポロリっと
なんと、元々壊れたのを接着剤でくっつけてあったんですね。
 
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まァ、ツマミの方さえ壊れなきゃ、ウェイトの方はどうなろうとのす爺ィにとってはどーでもヨロシイ。
そんなわけで、スタイラス・アッセンブリーにも本体側にも色々モンダイのある個体でした。
安かろう、悪かろう、ってことですね。
 
そんな品でしたんで、針先は大丈夫なんかいね?・・・と半信半疑だったんですが、ルーペで見た範囲では特に問題はなさそう。
できるだけキレイに掃除してやって、オーバー・ハングなんかもキチンと合わせてやり、これまでフツーの XLM を付けてた TD320 3009RB に取り付けてやりました。
 
ちなみに、この 12 g っていうカタログ上の重量なんですが、実際にはハカリに掛けてみますと 12,6 g ありました。
でね、この数値なんですが、なんとまァ、のす爺ィの持ってるフツーの XLM SME の軽量シェルに付けたヤツがちょうど 12 g ですんで、それよりもむしろ重いんですよ!
 
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ですが、コンプライアンスはこっちの方が低くって、指定針圧もあっちの0,6 – 1,0 g に対して 1,2±0,3 g なんで、まァちょうどイイってとこでしょうか。
 
さぁ、それで音なんですが、いや、これは素晴らしい!
なにせどれもこれも何十年も前の古い製品なんで個体差も当然あるでしょうから、その辺はイイ加減なもんではあるんですが、とにかく凄くイイ音がしてます。
 
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全然キレイな品じゃなかったものの、針先は大丈夫だったみたい。
も~大満足
 
そうそう、この Integra XLM なんですが、これには IIIIII と三種類のモデルがあったんですけど、それはフツーの XLM みたいに世代を追ってナンバリングが付いて行ったんじゃなく、最初からこの三種のモデルがあって、それは専らスタイラスの違いだったみたいです。
 
I は接合針が付いててコンプライアンスも若干低め、II Diasa 針っていう、これもまァ接合針ではあるんですが、台座が金属じゃなくサファイアのヤツ。
そして、のす爺ィの買った III はムクのダイヤの楕円針になります。
 
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この辺のモデル名に感じられる統一のなさも、いかにも ADC らしい。
それに、接合針の台座をサファイアで・・・なんていうセコいというか何というか、爪に火をともすがごとき経済性の追求にも好感が・・・抱けちゃうのす爺ィはやっぱどうしようもないビンボー人だなぁ・・・〔悲〕。

が、ともあれ、音がイイとこんなとこにも愛らしさが感じられてくるんですわ・・・〔笑〕。
それにしても、のす爺ィはやっぱ現代のアナログ最先端を行く(?)バランス伝送システムとかよりも、こういうノスタルジックなモデルにロマンを感じるなァ・・・。
 
 

続・アンプのその後・・・ほか_06

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先日到着した ADC Integra XLM-III はとってもイイ音で鳴り続けてます。
が、このモデル、XLM を名乗りながら、XLM シリーズのどれともスペックが一致しないんですよね。
まぁ、XLM の名称はモデル名じゃなく eXtremelyLow Mass のことなんだ、っていう立場だとすれば、そりゃそれでイイのかもしれませんけど、でもねェ、これはやっぱり ADC っていう会社の商品戦略に安定性が欠けてたことの表れと見るべきでしょうね。
 
それはそれとして、ADC の各モデルが Amphion のアンプと頗る相性のイイことは既に分かってたことでして、だから、この Integra XLM がいくらイイ音で鳴ったところで、それはニュースという程のものではないわけでして、今回は別のカートリッジで、それも、以前はのす爺ィがあんまり好印象を持ってなかったヤツが Amphion でどんな音になったのか、っていう話題に移っていきたいと思います。
 
ところで、オバマ大統領がヒロシマを訪問したり、プーチン大統領が来日する運びになるとかならないとかって、前者は原爆投下の謝罪はしないとか、後者は北方領土を売り渡す気はないとか、皆さんいろんな発言をなさってて、これは要するに、それぞれそういった点が気になってて、だからこそ、しないぞ、しないぞ、と言ってるわけですよね。
 
個人的には、しないならしないで、単にせずにいたらイイんであって、何も敢えてしないぞ、しないぞ、などと声高に宣言する必要はないようにも思うんですが、まァ外交ってのは複雑微妙ですから、そう宣言する方が得策だという判断なんでしょう。
 
のす爺ィは、そりゃ正義だとか人道性とかに立脚すれば、北方領土は返還されてしかるべきだし、シベリア抑留も戦争犯罪だし、原爆投下に関しても犠牲になった一般市民に対しては謝罪があってオカシクないとは思います。
けど、だからと言って、それを求めるのがムリだってのもまた当然だと思ってますんで、ご両人の言い分に文句は無いです。
 
が、一方、そういったいわば外交上の問題とは別に、日本の国内問題として扱うなら、北方領土問題にせよ、原爆投下にせよ、どちらも当時の日本の軍事独裁政権が日本国民に対して犯した犯罪的過ちの結果に他ならないわけで、だから、その辺りの責任の所在が明らかにされた上で何らかの形での総括が必要だと、まッ、そんな風に感じてます。
 
なにせ無闇に戦線を拡大するという戦略的・戦術的誤謬を繰り返しながら、国民に対しては戦況はじめ国際情勢に関する情報をひた隠しにし、国益を顧みることなくただただ自分たちの失脚を恐れて戦争の幕引きを際限なく遅らせていった、その結果としてのソ連参戦であり原爆投下であったわけでしょう。
 
いやいや、ついコーフンして余計なおしゃべりに脱線しました。
【オーディオ】の書庫でこんな寝言を呟いてちゃイケマセンね。
 
だけど、言い始めちゃったことですんで、そもそも何が言いたかったのかだけ言わせてもらいますとね、トランプ氏のさまざまな言動なんかもあって、これからの日本が徐々にではあれ米国の核の傘に頼ってられなくなり、どう表現するかはともかくとして、再軍備への道を歩み始める可能性が高まってるこんな時代だからこそ、大東亜戦争の失敗を正しく検証し、その責任の所在を明確に認識しておくのは、いわば国民の義務なんじゃないでしょうか。
 
とかくの議論のある過ちは繰り返しませぬからっていう碑文ですが、あの繰り返しませぬの主語は言うまでもなく日本人に決まってますよ、んなもん。
で、過ちは・・・過ちとは、自分たちの国に軍部による独裁と暴走を許してしまった過ちです、のす爺ィの解釈はこれ以外ありません。
 
アメリカ人どもが原爆投下をどう考えていようが、そんなことはさして問題じゃありませんし、だからオバマ氏が自身のビジョンや価値観に則ってヒロシマを訪問しようがしまいが、ましてや謝罪などしようがしまいが、かなりにどーでもイイことだと思います、我々日本人にとっては・・・。
 
 
さてさて、ADC に次いで Amphion 導入以後の音の変化をご報告しますのは、オルトフォンの SPU です。
まだ落ち着いて聴いてるわけじゃないんで、とりあえずは、以前のす爺ィの気に入るような音で鳴ってくれてなかった Meister Silver で、例によりバッハのバイオリン・ソナタを掛けてるとこなんですが・・・
 
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このカートリッジもかなり劇的に変わりました。
良くなったのかどうかは、まだもう少し色んなレコードで試してみないと何とも言えないんですが、変わったことだけは間違いありません。
 
まずは、あの耳につく刺激的な響きがかなり影をひそめました。
のす爺ィは、このモデルに限らず Synergy も同じなんですが、ネオジム磁石を採用した割と最近の SPU に共通する、あの高域強調型の鋭角的な音が苦手だった。
 
高域強調型と言えば、オーディオ・テクニカもその典型だと思うんですが、あの AT32 AT33 シリーズもやはりアンプが Amphion になってから凄く良くなったわけで、だからネオジム系 SPU の見せるこうした変化もある意味、分からんことはないです。
 
ですが、オーディオ・テクニカがどちらかと言うと線の細さが目立たなくなり、より力強い音で鳴り出したのに対して、Meister Silver は逆に線が細くなったように感じられます。
それに、高域の刺激的な響きが完全に無くなっちゃったわけでもありません。
 
まァ、このカートリッジは音が気に入らず、今までほとんど使ってませんでしたので、ダンパーが未だ馴染んでないところがあるのかもしれません。
のす爺ィはオーディオ製品でよく言われる“エージング”ってヤツをあんまり信用してません。
 
マニアの方々からは耳の悪いヤツだって馬鹿にされるかもしれませんが、のす爺ィ、それは平気。
んなもん、新しい方が音はイイに決まってらぁ、っと天真爛漫に考えてます。
 
が、カートリッジばかりは、例えば長いこと使わずにいた個体など、確かに当初ははっきりとトラッキングに問題が出る場合さえありますし、そこまで行かずとも音に潤いが欠けてて、でも LP 何枚かを聴くうちにいつの間にか良い方へと変化していくことがあります。
 
だから、あるいは?っていう可能性が絶無じゃあないと思うんですが、でも、たぶんこれ以上は変わらんでしょう。
まァ、先ほど言いましたように、以前の NEC A-10 type IV の時代に比べると全然聴き易くなってますんで、もう少し鍵盤楽器のレコードなんかも掛けてみますね。
 
のす爺ィはフランスの古い音楽も決して嫌いじゃありません。
ラモーはオペラをたくさん作ってて、同時代でも専らオペラ作曲家として名をなしてたみたいなんですが、のす爺ィは器楽の方が好きなんで、チェンバロを使った曲ばっかり聴いてます。
 
ラモーは理論家としても凄かったらしいんですが、音楽理論なんてのす爺ィにとりましては、それこそ雲の上の方々に属するモノであって、も~何っにも分かりませんので、そうか、そうだったのかぁ・・・と口を開けて聞いてるだけになります。
 
それにしても、分かるようになったこと、できるようになったことって、ホント少ないなァ・・・〔涙〕。
いや、ボヤいてても仕方ないんでおしゃべりを続けますが、バッハであれラモーであれ、チェンバロ用に作られた曲はピアノで弾いたレコードも悪くないですよね。
 
今、Meister Silver で聴いてるのはマルセル・メイエルの古い録音です。


この人はフランスの伝説のピアニストの一人で、ドビュッシーとの友情というか、協力関係でも有名です。
ドビュッシーは早々と亡くなっちゃいますんで、その後、プーランクらのいわゆる「フランス六人組」 ・・・ この辺は確か以前よくコメントを下さった tomo 様がお好きだった人たちですよね・・・のマスコット的存在になってたらしい。
それにモーリス・ラヴェルなんかとも親しかった。
 
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ですが、二人目のご主人がイタリア人だったことから、後半生はローマで過ごしてまして、だから今度はイタリアの同時代の作曲家たちとも協力関係にあったようです。
でも、のす爺ィはこういう 「現代音楽」 はムツカシくって分かんないんで、彼女の残した古い時代の音楽の録音しか聴いてません。
 
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持ってるのはラモーとスカルラッティのレコードですが、どちらも再発盤です。
基本的には SP 時代の演奏家だと思いますが、LP も結構あるみたい。
ただ、どれも高くって、到底のす爺ィに手の出せるような代物じゃありません。
 
おっとっと、Meister Silver の音についておしゃべりするハズが、えらい脱線してました。
う~ん、さっきからこのメイエルのレコードを聴きながら書いてるんですが、音は特別に感動するようなものじゃあないですね、残念ながら。
 
つまり、あの耳を刺す不快さはかなり軽減されて、ほとんど完全に姿を消してるものの、だからと言って、このカートリッジでなくては!っと思わせるようなところはありません。
高価なカートリッジなんですがねェ・・・。
 
また、レコードによって何か大きな変化があるようでしたら、明日にもご報告しまーす。
 
 

続・アンプのその後・・・ほか_07

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アンプが Amphion になってから、よく鳴りだしたカートリッジ、逆に期待したほどは良く鳴らないカートリッジ等々のご報告をする今回のおしゃべりなんですが、ブログの更新のためってわけでもないものの、あんまり取っかえ引っかえしてたんじゃ自分でもますますワケが分からなくなりますんで、とりあえずはMeister Silver に焦点を定めてます。
 
前にも申しましたように、あの耳を刺す刺激的な響きは大幅に抑えられて聴き易く鳴りました。
が、だからと言って、現行製品の、しかも高価格なモデルの割には、そんなビックリするような音は出してません。
どことなくシャリシャリした感じで、潤いに欠ける・・・とまでは言えないとしても、芳醇な音じゃありません。

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これは鍵盤楽器だけじゃなく、弦楽器についても同じように言えまして、バロック・バイオリンなんか、決して悪くはないんですが、でも、これだけの高級機なんだったらもうちょっと感動的な音を聴かせてくれてもバチは当たらんだろうが・・・って気分が払拭できない。
 
ところで、沖縄の強姦殺人だの、小金井市のストーカー事件だの、女性がいわば女性であるがゆえに被害者になる凶悪事件が話題になりましたが、あの手の、営利目的でない、異常者による犯罪からはホント身を守るのが難しいですよね。
 
ストーカーに関しては、のす爺ィも何年か前、ストーカー被害に遭っている女性から相談を受けまして、それは加害者の方がのす爺ィのかつての上司だったからなんですが、こりゃあ、とても素人に手の出せる案件じゃないとすぐに分かりましたんで、即刻、しかるべき機関に相談に行かせて、そこからは警察も対応してくれてコトなきを得たことがありました。
 
が、その直後、さる関西の有名大学で、事務職員の人が同僚女性のストーカー被害の相談に乗ってやってたら、加害者の男がやはり彼の上司で、結局、そいつに恨まれて、自宅の近くで待ち伏せされ、包丁で刺し殺される、ってェ事件が起きた。
 
当事者三名の間の関係のあり方がのす爺ィのケースとちょっと似てたんで、ビックリすると同時に、やっぱ、ああゆうのは素人が手を出すべき事柄じゃねェなぁ・・・ってつくづく思ったのを覚えてます。
まァ、痴情がらみの殺人事件なら『カルメン』の昔からよくあったんでしょうけど、当事者でもないのに巻き込まれて被害に遭っちゃあたまりません。
 
なにせストーカーってのは凶悪犯罪なんぞ犯さなくっても、それ以前、ストーカー行為をする段階で既にまともな思考能力を喪失してますから、まかり違っても話せば分かるなんてこたァあり得ませんし、凶器の切っ先が誰に向かうかも分かったもんじゃありません。
 
 
が、余計なおしゃべりはイイとして、さっき言いかけてたのは、Meister Silver の音がおとなしくなったのは結構なんだけれど、どうも潤いに欠けるきらいが・・・ってことでした。
例えばチェンバロなんかの響きが若干乾き過ぎたものになるわけです。
 
でね、のす爺ィが不思議に思うのは、こういう傾向って、もともとADC のカートリッジなんかに顕著だったんですよね。
それが、何度も言ってるように、ADC に関しては、その乾いた音だったのが、Amphion になってからは俄然、潤いが出まして、も~快感!っていう響きに変わった。
そして、一方、ある意味、元々高域の輝きがあり過ぎだった Meister Silver は、なぜか逆にそれが失われて、聴きやすい音にはなったものの、少々乾燥し過ぎた感じになったわけです。
 
こんなことって、よくあるんでしょうかね?
まァ、オーディオ製品の組み合わせなんて、もともと微妙なものなんで、一定の傾向が常に現われるっていう単純なもんではないんでしょうけど、でも、相手によって逆の傾向を示すなんて、ちょっと不思議な気がします。
オーディオ・マニアの方から、いや、それはよくあることだヨ、みたいなご意見でも頂戴できたら有り難いところではあります。
 
で、チェンバロの響きが若干乾燥気味だってのは既にお話ししたんですが、じゃあ弦楽器は?ってことで、こんなレコードを聴いてるところです。
 
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キアーラ・バンキーニっていう演奏家は、名前からしますと完全にイタリア人なんですが、実際にはスイスの人で・・・ とは言ってもルガーノの生まれですから、まァ、実質イタリア人みたいなもんですわね。
 
古い音楽の好きな方ならご存知なんじゃないかと思いますが、バロック・バイオリンの名手で、でも、バイオリニストとしてだけでなく、《アンサンブル 415っていうバンドを立ち上げて指揮者としても活動してた人です。

バンドの名前にある 415 っていう数字は 415 Hz から来てるんだそうで、普通、近代音楽の場合には楽器の調律の基準音が 450 Hz なのに対して、古楽演奏では 415 Hz でやるべきなんだ、っていう主張が込められてたらしい。
 
こんなとこからも分かるように、いわゆるピリオド演奏に拘った人で、楽器や奏法から楽譜に至るまでフィロロジカルな傾向の最右翼。
そうそう、シギスヴァルト・クイケンの弟子だったこともあるそうで、実際、バロック・バイオリンの音色もよく似てます。
 
のす爺ィが初めて聴いたのは上の写真の左側、Italienische Violinmusik 1600-1750 っていうアルバムでした。
B 面に入ってるコレッリの作品 5 の有名な La Follia が素晴らしかった。
 
キアーラ・バンキーニの弾く La Follia では、こんな CD も出てるみたいで、この演奏も素晴らしいですね。
こちらはコレッリじゃなくヴィヴァルディの作品ですがテーマは同一。
 
 
のす爺ィの持ってるレコードに話を戻しますと、これはOpen Window っていうレーベルのものでして、楽曲ものす爺ィの好みに合ってて、だから機会があれば集めるようにしてるんですが、どうも普通の流通経路には乗らなかった商品のようで、偶然にしか入手できずにいます。
 
もっとも、集めるとは言いましても全部でどうも 6 枚しか出なかったようでして・・・〔笑〕、このうちのす爺ィが持ってるのはこの4 です。
 
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ジャケットの上部中央に見える K のマークはプロデューサーが Klimo って名前の人で、その頭文字をあしらったものらしい。
 
ピリオド演奏に関しては、どうも一時の流行は廃れて・・・っていうか、むしろ、一時みたいにこれでなきゃダメ!みたいな極端な考え方は是正されてきてるようですね。
(そう言えば、ハルノンコールト氏も先日亡くなったんだ・・・。)
 
のす爺ィは、いつも言ってるように、完全なる音楽オンチなんで、その辺の議論にはも~テンでついて行けませんけど、ただ、ああゆう考え方というか活動というか、とにかくすごくロマンチックだなァ~と憧れちゃうところはあります。
 
ロマネスク建築であれ、トロバドールの歌であれ、古い時代のもので、実際にどうだったのかがよく分からなくなってるモノを復元していく作業っていうのは、実にやりがいのある仕事だなァ・・・って、そんな仕事ができたら人生楽しかろうな、って思いますね。
 
残念ながらのす爺ィにとっては夢のまた夢にしか過ぎませんので、だから、せめて若い頃に憧れたアナログ・オーディオの製品を集めては、できるだけ当時に近い条件でその音を“復元”しては楽しんでるわけです。
 
いつも言ってるように、のす爺ィはオーディオ・マニアじゃないんですが、だったら、オーディオ製品を集めたりいじりまわしたりしてるのはなぜか、って言うと、まッ、そんな事情なんですよね。
 
こんなことも、以前は明確に意識さえしてなかったんですが、こうやってブログを書き始めて認識できるようになったことのひとつです。
いやぁ、それにつけても、ブログの師匠、野晒与太郎先生には感謝あるのみです。
 
 

続・アンプのその後・・・ほか_08

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前回の頁にまたまたしんのすけ様が非常に示唆に富んだコメントをくださいまして、のす爺ィが何気なく呟いたひとことに明快そのものの論理的説明を与えて下さいました。
 
つまり、オーディオ的にはそりゃ最近の機器は進歩してるんだけれど、でも、古い録音の古いレコードを聴くには、必ずしもそうした高性能の機器を使うのが正解とは限らないんだと・・・。
オートグラフなんかも、現代のスピーカーに比べたら高性能とは言えないけれど、あの時代の音にはあの時代の音の価値が存在するのであって、それは貴族が家で楽団の生演奏を聴く代わりにあれを鳴らした、っていう背景まで考慮に入れて初めて分かるものなんだと・・・。
 
う~ん、のす爺ィはそんな深いことなんて全然考えてませんでした。
が、言われてみると非常に納得できる。
五味康祐氏がどんな部屋で鳴らしていたのかは知りませんが、もともとあれは英国貴族が邸宅の居間に置くものだったんでしょうね。
 
その居間ってのは、グランド・ピアノがあって、室内楽くらいなら十分にやれるような広さと天井の高さがあって・・・ってな、いわば音楽室みたいなものだったんでしょう。
だから、そういう部屋のコーナーに置いて、初めて設計者の意図したような音を聴くことができるんだと・・・。
 
ん、確かにそうなんでしょう。
で、部屋のコーナーの一つからオートグラフの音が部屋全体に広がって、だから、部屋のどこに居ても、同じ音ではないものの、等しく心地好い音に満たされる・・・。
これは二台のスピーカーの位置や、リスナーの位置などをピン・ポイントで確定して、そこで聴くようなオーディオ・システムのあり方とは根本的に違うんでしょう。
 
いやぁ、こんなことはオーディオ・マニアの方々にとっては常識なのかもしれませんけど、のす爺ィにとっては目から鱗もいいとこでした。
しんのすけ様、どうも有り難うございます!
 
今夜も ADC Integra XLM でもってイタリアの古い音楽を聴いてまーす。
トロフォン・レーベルのヴィオール音楽集なんですが、これはもともとバラ売りされた 4 枚の LP をケースに入れたものです。
 
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のす爺ィはアナログ現役時代からこのうちの二枚は持ってまして、だけど残りの二枚だけを入手することができずにいたものですから、重複は覚悟の上でこの 4 枚入りのボックス・セットを購入しました。
が、いずれにせよ、別に高いレコードじゃありません。
 
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ルネサンス期のヴィオール四重奏ってのがどんなもんなのかが知りたくて買ったのが最初でした。
もう 40 年近く前になります。
 
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ところで、インターネットを開くと・・・って言うか、のす爺ィはヤフーの頁が出てくるようにしてるからなんですけど・・・サントリーのオランジーナの CM がよく出て来まして、バックに僕の髪ィが~♪肩まで伸びて~♪がフランス語で歌われてる。
 
のす爺ィはフランス語は分かんないんですが、ところどころ???・・・ってな感じからしますと、オリジナルの歌詞をそのまま翻訳したもののように思われます。
 
あの歌はまさにのす爺ィ世代の歌ですね。
あれとか、《旅の宿》とかが彼の・・・そう、吉田拓郎のイメージでした。
あの頃はタクローって言えば、それは吉田拓郎のことだったんですよ・・・。
率直なところ、人柄としてはあまり好感が持てませんでしたけど、才能は抜群だったと思いますね。
 
面識があるわけでもないのに、人柄を云々するのは不適切ですが、まァ伝え聞くいろんなエピソードもさることながら、歌詞から受ける印象もイマイチだった。
この歌にせよ、《旅の宿》にせよ、以前、のす爺ィが別の書庫でクダクダ言ってたような意味で、も~どうしようもなく日本的な社会風土での男女関係をベースにしてるでしょ。
 
その辺に、何って言うか、もの足りなさを感じると同時に、若干の反発も感じてたわけですよ。
まッ、それもこれも、今、この歳になって明確にそれと認識できるようになっただけなんですけどね・・・。
 
さてさて、SPU Meister Silver に焦点を定めて試聴を続けまーす・・・みたいなことを言ってたんですが、比較のために、同じフォノ・アンプに繋いである、例の ADC Integra XLM を聴いてみますと、くどいようですがあまりに音がイイんで、どうしても興味がそっちに移っちゃいまして・・・
 
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で、どうしたんだ? って言いますと、これに 4 チャンネル用の Super XLM のスタイラスを履かせてみました。
あの、第三世代の ADC カートリッジのスタイラスって、なんか「履かせる」っていう動詞がいかにもピッタリの感じがしませんかね?
 
下から入れて、微妙に上方に向けながら奥の方へ・・・っていう動きが、ちょうど女性の足に靴を履かせてやるのとよく似た感じで・・・ (いや、失礼いたしました!)
 
が、ともあれ、シバタ針を備えてる Super XLM のスタイラスを試しに履かせてみたんですが、結果はやっぱりあんまり芳しくありませんでした。
Integra XLM の中でも、のす爺ィのヤツはムクの楕円針が付いてる Integra XLM-III なんですが、シバタ針の方が高級なんだし・・・なんて思ってやってみたんですが、音のクォリティは逆に低下しちゃいました。
 
どうも、アンプが Amphion になってからというもの、どちらかと言うと安価なカートリッジの方がえらく元気が良くなってまして、その一方、高いヤツは苦戦してます。
 
Meister Silver なんて ADC に比べたら、新品での価格差が十倍くらいになるんじゃないかと思いますが、それが、たかだか数千円で買った中古の Integra XLM に対してほとんどアドヴァンテージが感じられない音になっちゃってます。
 
もっとも、のす爺ィは、カートリッジに関する限り、値段と性能の間にはほとんど相関関係を認めていません。
そもそも、モノの値段なんて、そりゃ需給関係だとか、流通・販売経路だとかによって決まるわけで、必ずしも品質や性能との間にダイレクトな関係はありませんしね。
 
だから、Meister Silver ADC の十倍するから、音もずっとイイはずだ、などとはハナから思っちゃいませんけど、でも、製品のあり方として、かたや大量生産を前提にした、従って普及品マーケットを意識したもので、しかも数十年も前の骨董品ですよね。
それに対して、もう一方は現行製品の、しかも高級機です。
 
だから、ユーザーとしては安いカートリッジの、しかものす爺ィの好きなノスタル製品で十分にイイ音が聴けるんだから嬉しいという面があると同時に、せっかく高い金を出して買った高級品との差が感じられなくなるのは、単純に喜んでも居られないフクザツな気分・・・。
 
が、それはそれとして、レコードはやっぱイイ音で聴かなきゃ楽しくないですから、どうしても ADC の出番が多くなる。
シバタ針のスタイラスを試してみたくなったのもそんな事情で ADC の方に関心が行っちゃった結果です。
でも、そんなわけで、これはすぐにオリジナルのスタイラスに戻しました。
 
で、このモデル本来のスタイラスも、新品が入手できるようなら買っておきたいなと思ってインターネットで探したところ、うまい具合に米国のショップが売ってましたんで早速注文しました。
 
RXM-III っていうのが、のす爺ィの持ってる Integra XLM-III のスタイラスになります。
これは純正品ではあるんですが、日本製です。
 
前にもちょっと言いましたけど、どうも末期の ADC は日本との関係が密接だったようで、ADC 純正のスタイラスがそもそも made in Japan だったらしい。
ですから、日本製ではあっても、いわゆる JICO 製品じゃなく、ムクの楕円針が付いてるハズです。
 
ただし、JICO 製品じゃないと言っても、元までたどれば同じ会社(並木宝石?) OEM である可能性はありそうな気もします。
いずれにせよ、このスタイラスが到着したら、その音もまたご報告しますね。
価格は送料ともでざっと 13千円でした。
 
最近は本格的にアナログ・オーディオや LP レコードが復活しつつあるようですが、でも、それはバランス伝送みたいな新しい技術や製品の展開には繋がっていくとしても、ノスタルジックな旧製品そのものが復活するわけじゃないんで、オリジナルのスタイラスなんかは、やっぱ入手できる時に買っといた方がイイ。
 
ところで、さっき、レコードはイイ音で聴かなくちゃ楽しくない、って言いましたけど、これってホント真実だと思います。
レコードやオーディオに興味のない人って、そりゃ、人の興味は様々ですから、そういう方がおられて何の不思議もないんですが、でも、その中にはレコードやオーディオが好きじゃないというよりは、単にイイ音のする装置で聴いたことがないから興味を覚えないだけ、って方が少なからずおられるんじゃないかと、のす爺ィは考えてます。
 
クルマでも同じで、自動車なんて移動のための手段だろ、んなもん何が楽しいんだ?って思ってる人のうちかなりのパーセンテージの人は、単に運転して楽しいクルマに乗ったことがない、ってだけのことなんじゃないかと・・・。
自動車って、これも前にも【クルマ】の書庫のどこかで言ったと思いますけど、大きく分けて、運転が快楽であるクルマ、運転が苦痛であるクルマ、そして特にどっちでもないクルマ、っていう三種類があります。
 
だから、このうちの運転が快楽っていうクルマにたまたま一度も乗ったことがない人は、ンなもん何が楽しいんだ?って思ってても全然不思議じゃない・・・どころか、それが当然でしょう。
 
たぶん何に関してもこれは言えるんじゃないでしょうか。
女にしても、いわゆるマグロとしか寝たことがないと、○ックスなんて何が楽しいんだ?みたいな・・・ことに・・・はならないですよね、やっぱ・・・〔笑〕。
 
 

続・アンプのその後・・・ほか_09

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だいぶ長いこと更新をさぼっちゃいました。
家族に入院する者が出たりしてバタバタしてたのもあるんですが、それもあって、そもそもご報告するような進展がなかったというのもその理由です。
 
ところで、病院の看護師さんって、なんであんなに色気のある人が多いんですかね?
ボディ・ラインを際立たせる、あの制服だとか、それに顔を半分隠すマスクがそう感じさせるのかなぁ・・・。
 
のす爺ィ自身は子供のころに盲腸の手術を受けて以来、入院したことはないんですが、家族の誰彼が入院するたびに、不謹慎ながら看護師さんの美しさに見惚れる。
スタイルのイイ人のスタティックな美しさだけでなく、あのテキパキした動きがモノを言ってるのかもしれません。
 
のす爺ィはこれまでにもいろんな機会に言ってきたと思いますけど、ナヨナヨした女性には全然色気を感じないんですよ。
もちろん、女らしさをアピールしようと媚を売るような女性にもゲンナリです。
 
のす爺ィがセクシーだと感じるのは、まァ、もちろん美人でなきゃダメですが、それはあくまでも必要条件なのであって、その上でアグレッシブなところがあるか、あるいはスポーティーなところのある女性です。
だから、服装なんかでもロング・スカートやドレスなんてのは論外で、できればああゆう看護師さんの制服みたいに動きやすさを念頭に置いたヤツがイイ。
 
いや、失礼しました。
 
ともあれ、しばらく更新を滞らせちゃったのす爺ィでありますが、インターネットを開くくらいのヒマはありまして、いつもご訪問くださるベテラン・オーディオ・マニアの KT 様が、ご自身のブログの中でイ・ルンゴ・オーディオっていうメーカーのサイトを紹介しておられるのを見ました。
 
イ・ルンゴ っていうのは、イタリア語で J の文字のことです。
元々 J っていう文字は I と同じものでして、ただ、I に尻尾が付いて長くなってるやつなんで、イタリアでは 「長い I 」っていう意味で、イ・ルンゴって呼ばれてる。
このメーカーがなんでそういう社名にしてるのかは知りませんが、あるいは Japan J を採ったのかもしれません。
 
KT 様によると、このメーカーのサイトで随筆のようなものを書いておられる イ・ルンゴ・オーディオの社長さんはオーディオ・マニアの間ではとても有名な方のようで、とりわけ主力製品のひとつであるパッシブ・プリに絡んで興味深いことを書いておられる。
 
KT 様が引用しておられる、その記事の内容は、無知なのす爺ィにとっては結構難解でよくは分からないんですが、のす爺ィが何となくいつも感じているのに似たことが書かれているらしい。
それにまた、NEC のアンプが壊れるまで、のす爺ィもパッシブ・プリを使ってたものですから、余計にこの引用の内容に引かれるものがあった。
 
いや、のす爺ィが使ってたのは、このイ・ルンゴ・オーディオの製品のような高いものじゃありませんが、A-10
type IV のボリュームが壊れちゃったんで、フォノ・アンプからの信号をパッシブ・プリを介してパワー・アンプの入力に繋いでたんですよ。
 
で、アンプが壊れちゃった当初は Amphion のパワー・アンプだけを購入して、同じようにアッテネーターと組み合わせてみたんですが、音が薄味になっちゃって満足できなかったんで、プリ・アンプの Amphion Line も導入した・・・っていう経緯はすでにお話ししましたよね。
 
ともあれ、そんな事情から、この KT 様のブログに引用されてたイ・ルンゴ・オーディオの社長氏の記事が余計に気になったわけです。
特にここに言われてる CD とアナログ・レコードの違いには凄く共感するものがあった。
 
何度も言いますが、理屈というか理論というか、そういうものはのす爺ィには皆目分かりません。
ですが、CD とアナログ・レコードの音の違いですとか、それにプリ・アンプというものが最終的な音質に与える影響・効果といったものに関しては、実にこの社長氏のおっしゃる通りであるような気がする。
つまり、情報を欠落させることによってバランスを取るっていう行き方です。
 
いえね、のす爺ィはこれがダメだとか、イヤだとかいってるわけじゃあ全然ありません。
なにせ、そもそもオーディオ・マニアじゃありませんので (また出た!)、情報が欠落すること自体がイヤってことは全然ないんでして、ですから、アナログをやめて CD プレーヤーに イ・ルンゴ・オーディオの 40 万円以上もするアッテネーターを組み合わせたい・・・、などとはまったく思ってません。
 
ですけど、この社長さんのおっしゃってることには、何だか凄く納得できるような気がする。
んなもん、アナログ・レコードよりもデジタル音源の方が絶対に情報量は豊かですし、細かい音までよく聴こえますよ。
のす爺ィの CD プレーヤーはアキュフェーズの古い製品で、SACD だとか他の何か知りませんがマニアックなものが掛かるヤツじゃないんですが、それでも、優秀録音の CD をこれで聴けばアナログとの違いは歴然です。
 
イメージ 1
 
さてさて、Amphion のアンプになってから、のす爺ィの使ってるカートリッジがどんな音になったのか、っていうおしゃべりの続きです。
前にボヤいてたのは、値段の高い現行製品である SPU Meister Silver がどうもイマイチ冴える音で鳴ってくれない、ってことでした。
 
でも、このカートリッジは、確かにアンプが Amphion になって、えらく音質が変化しましたけど、だからと言って必ずしも音が悪くなったというわけでもありません。
以前だって、のす爺ィが気に入るような音では全然鳴ってなかった。
 
いや、それどころか、耳障りで刺激的な音しか出てなくって、だから全然使ってなかったわけです。
それが聴きやすくなったんだから、どちらかと言えば、前よりも音は良くなったと言うべきでしょう。
ただ、音の傾向はガラっと変わったものの、決して好みの音になったわけじゃないんで、だからそれが不満だっていうだけです。
 
ですので、このモデルを鳴らすのはとりあえず諦めました。
若い頃から諦めが早いのがのす爺ィの特徴でした。
(野晒師匠と違って古典語もフランス語もできるようにならなかったのは、才能の欠如だけじゃなく、この諦めの早さが一因だと思います・・・たぶん。)
 
で、Meister Silver はとりあえず放っといて、音が良くなったカートリッジの話をしようというワケです。
オーディオ・テクニカの AT32 / AT33 ADC の第三世代、それに ELAC なんかがそれに当たるものだったわけですが、これらのモデルは、以前は全然気に入ってなかったモデルでした。
 
じゃあ、元々イイ音で鳴ってたカートリッジはどうなったんだ?ってのが今回のおしゃべりです。
まず、そうしたモデルの筆頭は DENON DL-305 です。
 
イメージ 2
 
DENON のカートリッジと言えば何といっても DL-103 シリーズなんですが、これとは別に空芯タイプのモデルものす爺ィは気に入ってました。
DL-303DL-305、それに DL-S1 っていうのがのす爺ィの持ってるヤツですが、これらの中でもとりわけイイ音で鳴ってたのは DL-305 です。
 
なので、アンプが Amphion になって、以前よりもさらに素晴らしい音で鳴りだしたこれでもって、のす爺ィとしては珍しくベートーヴェンを聴きながら書いてるとこです。
 
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ですが、もう結構遅いですし、続きは次回に回させて下さい。
じゃ、皆さん、お休みなさい。
 
 

続・アンプのその後・・・ほか_10

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DENON DL-305のことをお話ししなきゃいけないんですが、少し前に注文したIntegra XLM の新品スタイラスが到着しましたんで、あっちのおしゃべりはちょっと中断して、まずはこのスタイラスをご披露しますね。

包装はこんな感じ
 
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確かに ADC の純正みたいですね。
が、made in Japan の文字は見当たりません。
まァ、ADC の製品なんだから敢えてデカデカと日本製を謳うことはしてないんでしょう、Shure のメキシコ製スタイラスにしたところでそうでしたもんね。
 
・・・とか思いながら封を切って中身を取り出しますと、これはまたソックリですね、 いや、当たり前ではあるんですが・・・。
 
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だけど、あまりにもソックリなんで、これってホントに日本製なの? っていう疑問が湧いてきちゃいまして、ペーパーを広げてみました。
 
イメージ 3
 
でも、やっぱりどこにも made in Japan の文字は見当たらない・・・ どころか、made in USA って書いてあるじゃん!
 
なんか変だなァ・・・まさか例によってのす爺ィの思い違いじゃあ???
という疑いが首をもたげましたんで、もう一度注文先のサイトを開いてみました。
 
っと、まァ! アラ不思議・・・OEM genuineとは書いてあるものの、日本製だとはどこにも書いてありません!
いやぁ、またお詫びしなくっちゃ・・・。
何のこたァない、日本製っていうのは単なるのす爺ィの勘違いでした・・・〕。
 
てなわけで、以前どこかの頁で言ったことは訂正しなくちゃなりません。
この新品スタイラスは米国製です。
ADC はもう生産をやめちゃってますんで、どこかの OEM 製品ではあるんでしょうが、日本製じゃありません!
 
それにしても、うっかりミスの多いのす爺ィではあります。
が、ともあれ、さっそくこの針に付け替えて鳴らしてみました。

当然ながらイイ音です。
でも、あの中古の本体に付いてきた方の針もまったくこれと遜色ない音で鳴ってますんで、変化はナシです。
が、それにしてもアンプが Amphion になってからの ADC は実に実に素晴らしい音を出してます。
(いや、クドくって、どうもスミマセン! だけどホントにイイ音なんですわ。)
 
さてさて、それではもう一方の DL-305 へとハナシを移しましょうか。
 

このカートリッジは DENON DL-103 シリーズにライン・コンタクト針を装備してコンプライアンスも高くした、いわば民生用に仕立て直した DL-103S DL-103D を発表した後、1980 年に発売した、こちらは最初からモロに民生用・・・ と言うか、オーディオ・マニア用製品の第二弾になります。

 
第一弾は、前年に発表された DL-303なんですが、この両者は基本的に同一の設計だと思われます。

イメージ 4

両者の間の基本的な違いはカンチレバーです。
DL-303 がアルミだったのに対して、DL-305 はボロン。
 
ボロンの採用に伴ってコンプライアンスも若干変えられてるみたいです。
でも、十字型の空芯コイルにサマリウム・コバルトのマグネットを組み合わせた発電機構にせよ、0,2 mV という出力電圧や 40 Ω のインピーダンスにせよスペックは同一ですし、指定針圧の値も 1,2 g で共通してます。
 
再生帯域は DL-303 でも 30 – 70 KHz というもの凄いものでしたが、DL-305 ではさらに 75 KHz まで高域が伸びてます。
まァ、4 チャンネルだの、シバタ針だのが登場した時期以後は、こんなトンデモナイ高域再生も割とフツーのことになってたのかも知れません。
 
この時代、つまり 80 年代というのは、たびたび言ってますように、のす爺ィが生活に追われてレコードからもオーディオからも遠ざかってた時代になりますので、この頃の製品については非常に疎い。
もちろん、これらのカートリッジはアナログ復帰してから、かなり最近になって入手したものばかりです。
 
ですから、ひときわ、もっとよくご存じの方からの情報がいただけると嬉しいんですが、この兄弟カートリッジと呼んでも差し支えない程よく似た二機種の間には、実はかなり音質の違いがあります。
なので、アンプが Amphion になった今、これらの間の差がどんな風に感じられるのか、それに、もちろんそれぞれがどんな音色を奏でてくれるのか、のす爺ィはかなりの興味を持って聴き始めました。
 
が、今日はなんか疲れちゃってましてもう眠いし、明日も仕事がありますんで、ちょっと短めではありますが、こんなところで更新は一区切りとさせてやって下さい。
皆さん、お休みなさーい。
 

続・アンプのその後・・・ほか_11

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DENON DL-305 のことをお話しするに当たって、まずはその一年前に発売された DL-303 から入るってのは、まァ妥当な行き方じゃないかと思います。
このモデルは、それまでプロ用として DL-103 や、それからの派生機しか作ってなかった DENON が、いわば本格的に一般のオーディオ・ファン向けに一から開発した初めての MC 型カートリッジだったんじゃないかと思うからです。
 
ちなみに、のす爺ィはプロ用機器というものに特別な思い入れはありません。
なぜかって、単純にのす爺ィはプロじゃないからです。
メーカーはどんな製品にせよ一応マーケットを考慮したうえで開発・生産するに決まってるんで、そういう考慮にちょうどのす爺ィが当てはまってるような製品が一番満足させてくれやすいだろうと・・・まッ、そんな風に考えてるわけです。
 
実際のところ、レコードに合わせて何台もの LP プレーヤーを使い分けてる現時点でののす爺ィにとりましては、一台でどんなレコードも無難に演奏できなきゃいけないプロ用機器は、そういう意味合いからしますと、かなりのハズレじゃないかと思います。
現に、素の DL-103 で聴くことはそう多くありません。
 
さてさて、まずはDL-303 DL-305 の諸元を並べてみますと・・・
 
 
DL-303
DL-305
再生周波数帯域
20-70 KHz
20-75 KHz
出力電圧
0.2 mV
0.2 mV
コンプライアンス
13×10-6 cm /dyne
14×10-6 cm /dyne
針圧
1.2 g ± 0.2 g
1.2 g ± 0.2 g
インピーダンス
40 Ω
40 Ω
カンチレバー
テーパード・アルミ合金
ボロン+アルミ合金
重量
6.5 g
5.8 g
価格
¥ 45,000-
¥ 65,000-
発売年月日
1979. 3
1980. 4
 
ざっと、こんな感じです。
それにしても 79 年とか 80 年と言いますと、もはやアナログ末期、すでに CD の足音が聞こえていたころじゃないでしょうか。
ちょっと感慨深いものがあるなァ~。
 
で、前回も申しましたように、両者の間の大きな違いはカンチレバーのようです。
テーパーの付いたアルミ合金のカンチレバーは、既に DL-103D に採用されていました。
このモデルの発売は 77 11月ですので、ここで実用化された技術が DL-303 にも援用されたと見るべきでしょう。
 
イメージ 2
 
ちなみに、この DL-103D において 65 KHz に達する高域再生が達成されてまして、“民生用” DL-103とも呼ぶべき DL-103S DL-103D の二機種は、色んな意味で、来たるべき DENON の一般向け MC カートリッジ発売に向けての実験機だったんじゃないでしょうか。
 
針先形状に関しましても、この二機種は既にライン・コンタクト針を装備しておりまして、しかもこの両者の間には形状に微妙な差異があり、これに関しては以前、既におしゃべりしたところですので繰り返しは致しませんが、よろしければこの過去頁をご覧ください。
 
要するに DENON は彼らの標準機であった DL-103 をベース機としながら、純粋な民生機のマーケットへの参入準備を着々と進めていた・・・ っと、まッ、そんな気がしてなりません。
で、それが実を結んだ最初のモデルが DL-303 だった・・・。
 
これもやはりコイルは DENON 伝統の十字形コアに巻かれてまして、インピーダンスもまた標準型 DL-103 と同じ 40 Ω でしたが、周知の通り空芯コイルにサマリウム・コバルトの磁石を組み合わせることによって上の表のように 0.2 mV という、DL-103 0.3 mV に大きくは劣らない出力電圧を確保してました。
 
DL-305 との相違が目立つカンチレバーですが、これに用いられたアルミ合金は、ADC と同じ UT-58 25 μm 厚だそうです。
ADC 10E Mk IV の時代からはおよそ十年が経過してますんで、こちらは素材は同一でもテーパーが付いており、しかも、その上さらに DL-103 同様の二重構造になってます。
 
で、こうして得られた DL-303 の音なんですが、トレース能力や細部の描写には言うことないとして、のす爺ィの個人的な感覚からしますと、ちょっと乾燥し過ぎたきらいがありました。
ここで“ありました”と過去形で言いましたのは、アンプが Amphion になる以前のことを念頭に置いてのことです。
 
で、今はどうなのかと申しますと、傾向としてはそれが薄まった・・・つまり、よりウェットになった、あるいは潤いが出てきたように感じられます。
ですが、この比較はダイレクトには無理でして、以前の音の印象を思い出しては今と比較せざるを得ないので、かなりイイ加減なものに留まります。
 
とはいえ、今でも DL-303 の音にはまだ若干潤いが不足するように感じられる。
こういう傾向は ADC にも認められたものでして、のす爺ィは個人的には必ずしも嫌いじゃありません。
ですが、少なくともクラシックの再生に際しては、やはり深みと言いますか、余韻と言いますか、まッ、そういったものが不足しがちであることは否定のしようがないように思います。
 
そこで、です。
DL-303 の持っていたこうした傾向・・・つまり、いささか音が乾燥し過ぎるという傾向・・・が完全に払拭されて、音にほど良い潤いが出たのが、のす爺ィの大好きな DL-305 だったんですよ。
細部のどこまでも正確な描写はそのままに、心地好い余韻を響かせるようになった・・・。
 
イメージ 1
 
新品の時の価格差は決して少なくはなかったようですし、今の中古価格においてもそれなりの差はあるように見受けられますが、のす爺ィ的には、この音質の差を考えますと、この程度の価格差は十分に正当化され得るものでして、ですから、これから購入あるいは落札をお考えになる方には、迷うことなく DL-305 の方をお奨めします。
 
さてさて、そんなわけで、諸元の上では非常に近い数値を示す DL-303 DL-305 の兄弟機なんですが、こうした音質の違いが、アンプが Amphion になってどのように変化したのか、というのが元々おしゃべりしたかったことでした。
 
一口に言って、違いが以前よりも目立たなくなりました。
つまり、DL-303 に若干の潤いが出ると同時に、DL-305 の方は逆に高域の輝きが抑えられて鋭さが減った。
結果としまして、両者の違いは明瞭ではあるものの、以前ほど劇的なものではなくなったと言えます。
 
とりわけ、DL-305 から高域の強調による過度の(?)輝きが消えたことは、ちょうど SPU Meister Silver に見られた変化と軌を一にするものと言えます。
やっぱり、これまでの色んなカートリッジにおける変化を総体として見た場合、Amphion の個性によって最終的な音が決定されてる、と言うか、少なくともその傾向が強まったような気がしますね。
 
そして、Amphion のパワー・アンプだけを導入して、それをパッシブ・プリと組み合わせてた時のことを思い出すにつけても、どうもこの Basic Power というパワー・アンプの持つ薄味なところが Amphion Line の積極的な関与によって補われてるんじゃないのか・・・ってな感触を抱かずにはいられません。
 
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なんか、こう考えてくると、Amphion Line はこのままに、別のパワー・アンプを繋いでみたくなってきます。
LP プレーヤー・フェチの領分を越えて余計な出費と泥沼に迷い込んでしまいそうでちょっと怖いんですが、アンプによってこうも音色が変わるとなりますと、いずれゆとりができたら、もう一機種くらいは別のパワー・アンプを試してみたいような気持ちです。
 
じゃ、今回のシリーズもこれで 11 回を数えましたし、一応これにて一段落とさせていただきたいと存じます。
いつもながら、勝手なおしゃべりにお付き合いくださいまして、どうも有り難うございました。
 
 

SPU とAmphion _01

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アンプが NEC からAmphion に替わってすでにかなりの日数が経ちまして、段々と耳が慣れてくるに従って、カートリッジごとの特徴も少しずつ聴き分けられるようになってきました。
 
はじめはアンプの音色が劇的に変わったせいで何が何だか分からなくなっちゃってたんですが、考えてみますと、ある意味それも当然でして、新しいアンプでそれぞれのカートリッジがどんな音を響かせるのか、とりあえずひととおり知った上でなきゃ、頭が混乱するのは致し方ない。
 
で、そうなって改めて SPU Meister Silver を聴いてるとこなんですが、うん、やっぱりあのいささか刺激的な高域は健在ですが、それでも全体がきめ細かく、たおやかになった感じがして、決して悪くないですね。
これが使ってるうちにダンパーが馴染んだせいなのか、それとものす爺ィの耳が慣れたせいなのか、はたまた両方なのか、その辺は不明ながら、とにかくかなりイイ線行ってます。
 
こうなってみると、ADC がいくら素晴らしい音で鳴るようになったとは言っても、やっぱり切れ込みの深さや細部の描写には明確な違いがありますね。
この辺は何と言っても MC 型の高級機ならではの鳴り方です。
 
ということで、そろそろ大物カートリッジが Amphion でどんな音がするようになったのか、で、もしイイ音がしなかったらどんな手を試みることができるのか、実際に鳴らして試してみたくなってきました。
 
これまではあんまり気に入ってなくって、だからロクに使ってなかった、例えばオーディオ・テクニカや ELAC、それに、第三世代の ADC といったところでやってきてまして、元々のす爺ィにとっての二大ブランドだった Shure
Ortofon についてはまだロクに試してませんでしたが、それをやってみたくなった。
 
いやね、この二つのブランドは別にのす爺ィにとって二大ブランドだったのみならず、恐らくは誰一人として否定することはないであろう、世界のアナログ・オーディオ史における二大ブランドですよね。
ですから、Shure Ortofon の製品がのす爺ィにとっても主力の愛機となっていたことは全然フシギじゃありません。
 
じゃ、一体なぜ今まで新しく導入したAmphion のアンプでじっくり聴いてみようとしなかったのか・・・?
それは、やっぱりちょっとコワかったからだと思います。
つまり、もし、うまく鳴ってくれなかったら、どーしよ~か・・・、やっぱショックだろうなぁ~・・・、ってとこです。
 
こんなところからものす爺ィが相当に臆病な人間だってことが改めてよく認識できて、自分でも面白いっちゃあ面白い。
SPU の中でも、今まで気に入ってなかったネオジム系の Meister Silver から聴き始めたのも、まさにそうした臆病さの表れ以外の何物でもありません。
 
が、そろそろ勇を奮って〔笑〕、持っている SPU のあれこれを聴いてみようと思い始めた。
で、それにあたって、聴き比べのためにもトーレンスの TD125 Mk II SPU を組み合わせられるよう、これまで載せてあった SME 3009 S II をオルトフォンの RMG-212 に載せ替えることにしました。

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このターン・テーブルには、SME を載せる以前、やはりオルトフォンの RS-212 を載せてまして、SPU の中でも Replicant 100 っていうライン・コンタクト針を装備したモデルを聴いてました。
ですから、今回もこのアームに戻してやりさえすれば SPU を付けることは簡単。

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・・・ではあるんですが、これとは別に RMG-212 っていうアームも以前から使ってみたかった。
このアームは以前おしゃべりのテーマにした際に、ラックスマンの PD441 に組み合わせたことをご報告してました。
 
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でも、あれはちょっとやってみただけでして、あのモダンなデザインの DD プレーヤーに、RMG みたいな骨董品が似合うはずもなく、ですから、すぐに取り外しまして、その後はこのアームは再び休眠状態になってました。
 
まッ、SPU が聴きたければ、例の TD160 “のす爺ィ号” RMG-212i を付けたヤツがありますからね、インサイドフォース・キャンセラーなしでイイんならいつでもこれで聴くことができますし、別に困ることはありませんでした。
 
しかしながら、LP プレーヤー・フェチののす爺ィといたしましては、必ずしもレコードを聴くためにだけプレーヤーを組んでるわけじゃないんでして、ですから、アーム・チューブが見事なS 字型を描くオリジナル RMG-212 
これはこれで是非とも何かよく似合う同時代のターン・テーブルに組み合わせてみたかった。
 
で、そういうターン・テーブルとしましては、恐らくTD124 なんかが一番なんでしょうけど、のす爺ィはあれは持ってません。
また経済的にも技術的にもちょっと手強すぎて、今後も恐らく持つことはないと思われます。
そんなわけで、唯一、現実的なのは手持ちの TD125 Mk II に組み合わせることでした。
 
このターン・テーブルもまた、ほとんど PD441 並みにトーン・アームの交換が容易でして、とりわけアーム・ボードごと取り換えるんであれば、ネジ 3 本で済んじゃいます。
そこで、SME 3009 S II、そして RS-212 に続いて、この RMG-212 も、この TD125 Mk II 用のアームボードに据え付けて準備を整えてみました。
 
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先ほども言いましたように、別にこういうことをしなくてもTD160 “のす爺ィ号”がありますんで、 SPU のあれこれを試聴することは簡単にできるんですが、それでも敢えて TD125 Mk II でも SPU が使えるようにしたかったのには、もうひとつ別の理由もありました。
 
それは、フォノ・アンプが違うとどうなるのか、っていう点についての興味です。
“のす爺ィ号”は現在シェルターの Model 411 Type II っていうトランスを介して Trigon のフォノ・アンプに繋いであるんですが、置き場所の関係から、まぁ、トランスの方はともかくとして、別のフォノ・アンプに繋ぐのはちょっと難しい。
 
ただですね、Amphion といい、Trigon といい、これはかなりにモダンな製品ですよね。
だから、SPU の中でもアルニコ磁石を使った伝統的なモデルとはかなりイメージが異質です。
ある意味、RMG-212 と PD441 の組み合わせに勝るとも劣らぬアンバランス・・・。
 
実際、イメージやデザインだけじゃなく、どちらのアンプもかなりモダンな音質を持ってます。
だから、せめてフォノ・アンプに関しては、もう少しウェットで潤いのある、いわば伝統的な音のする Luxman に繋いでみたかった。
 
・・・てなわけで、この RMG-212 を載せた TD125 Mk II からはいずれか適当なトランスを介して Luxman  E-1 に繋ぎまして、それを Amphion Line へと導くような形にする。
その一方、“のす爺ィ号” RMG-212i からの信号はTrigon のフォノ・アンプへ送られ、そこからはやはり
Amphion Line へと導かれる・・・。
 
こうして、同じ SPU を両方のフォノ・アンプで比べてみようというワケです。
もちろん、同一のカートリッジをあちらからこちらへ、こちらからあちらへと付け替えて即聴き比べることも容易です。
 
以前もどこかで言いましたが、のす爺ィの所有する SPU は全部 G シェルのモデルばかりで、内側に鉛の切片を張り付けて重量が揃えてありますので、ゼロ・バランスも針圧調整もなしに二台のプレーヤーを自由に行き来させられます。
 
ということで、これから色んな SPU をこの二台に付けてみては、フォノ・アンプの違いによる差を確認しながら、
Amphion アンプでの音色をご報告して行こうと思います。
 
まァ、そもそも伝統的なアルニコ磁石の SPU は、イメージからしても、またたぶん音質からしましても Amphion
のモダンな感触とは相性が悪そうではあるんですが、のす爺ィの持ってるヤツはどうせ現代の Classic バージョンですので、まったく不釣り合いということもないんじゃないかと、まッ、淡い期待を抱いてます。
 
 

SPU とAmphion _02

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SPU シリーズの音がAmphion のアンプでどう聴こえるようになったのか、ってのが今回のおしゃべりのテーマなんですが、それをやるために、まずは RMG-212 TD125Mk II に載せる、その準備をしたところで前回は終わってました。
 
実は、あの後、いろいろバタバタしてまして、心理的にもオーディオいじりをやる気になれず、まだトーン・アームの載せ替えはやってません。
なんだ、早く載せ替えて SPU の音について何か言え! ですって?
 
うん、まァ、ごもっともではあるんですが、ちょっと色んな事情からそういう気になれなくって・・・。
で、気晴らしに YouTube であれこれ見てたら、こんな映像があって、かなり気に入りました。
 
 
バイオリンを弾いているのはJenny O’Connor さん、バンドは彼女の率いるCirca Paleo っていう人たちだそうです。
曲は映画《ラスト・オブ・モヒカン》のテーマ音楽なんですが、どうも元々はスコットランド民謡らしい。
 
Jenny O’Connor さんは中東風の露出度の高い衣装がトレードマークらしく、貧new ではあれ、それなりに結構色っぽいと思うんですが、残念なことに(?)同性愛者だそうです。
 
ところで、《ラスト・オブ・モヒカン》っていうのは、19 世紀のアメリカの小説の映画化で、この小説は日本では『モヒカン族の最後』というタイトルで知られてますよね。
 
 
映画も小説もオリジナル・タイトルはThe Last of the Mohicansなんですが、これを『モヒカン族の最後』とやったのは、やっぱ誤訳と言うべきじゃないでしょうかね。
のす爺ィは英語には詳しくないんですけど、the Mohicans 「モヒカン族」でイイとして、the last の方をそういう意味・・・つまり、モヒカン族の「滅亡」とか 「終末」 みたいな意味に取るのはムリなような気がします。
 
これはやっぱり「最後のヤツ」って意味にしかならんでしょう。
だから、『モヒカン族の最後』じゃなく、『最後のモヒカン族』ですわな。
もっとも、タイトルを和訳した人が勘違いからこう訳したのかどうかは何とも言えません。
どっちかと言うと、『最後のモヒカン族』とするよりも『モヒカン族の最後』方がカッコいいし・・・ってんでこのような邦題にした可能性が結構高そうな気がします。
 
が、タイトルはともかくとして、これは以前のす爺ィがこのブログの【イタリアン・コミック】の書庫でご紹介した『インディアン・サマー』によく似たテイストの物語ですね。
 
もちろん、『モヒカン族の・・・』の方が一世紀も先に書かれてるわけで、刺激を受けたとすれば、それは『インディアン・サマー』のウーゴ・プラットに決まってますけどね。
 
ともあれ、のす爺ィがこの物語を知ったのは、まだホンのおチビさんだった頃、『ニルスの不思議な旅』っていうスウェーデンの有名な児童文学作品をマンガで読んだ時に、その本の終わりに、同じシリーズで出てる他の作品の宣伝があって、その中の一冊がこれだったからでした。
 
『ニルス』の方も非常に強く心に残った作品でして、最後のアッカたちとの別れのシーンなんか、今でも当時の感動をまざまざと思い出すことができますし、神の怒りに触れて海に沈められ、百年に一度だけ海上に姿を現すという町のエピソードも印象的でした。
 
ずっと後になって知ったんですが、この町はイースのことだったんですね。
今でもブルターニュ半島の沖合では晴れた日に遠くからイースの町の教会の鐘の音がかすかに聞こえてくることがあるという・・・。
ドビュッシーの《沈める寺》。
 
 
いや、名曲なんで YouTube にはいくらでも名演奏がアップされてるんですが、のす爺ィはキレイなお姉さん演奏家が大好きなんで〔笑〕これを張り付けました・・・。
正直言いますと、このアナスタシア・フップマンさんは、失礼ながら、とりわけおキレイというわけでもないみたいですし、オフィシャル・サイトの演出ものす爺ィの趣味には合ってませんが。
 
ともあれ、このイースの町があまりに立派だったんで、「まるでイースのよう」っていう意味で Par Is、すなわち
Paris パリっていう都市名が生まれた・・・、なんてもちろんコジツケ伝説に決まってますが、でも、あの東日本大震災の津波災害を見た後では、ひょっとすると遠い昔にあの手のことがブルターニュでも起きてて、それがイース伝説の核になったんじゃないかって気がしてきます。
 
いや、何日ぶりかで更新したと思ったら、のっけからエライ脱線でどうもスミマセン。
が、脱線はまだまだ続くんでして、TD125 Mk II のアーム載せ替えが遅々として進まぬ中、作業の手をさらにチョイと止めては、RMG-212 についてインターネット上でどんなことが言われてるのか検索してみました。
 
すると、このアームの修理を得意としているらしい某ショップのサイトで、ちょっと前にこののす爺ィブログでも話題にのぼってた MC カートリッジと昇圧トランスの間のバランス接続に関連するサービスが宣伝されてるのに目がとまりました。
 
なんでも、昇圧トランスの結線を変更して、バランス接続に対応するようにしてくれるらしい。
のす爺ィはしんのすけ様から教えられるまでそんなものがこの世にあろうとはつゆ知らずだったんですが、アナログ・ファンの間では結構関心が高まってるんだ、ってことを見せつけられた思いです。
 
そのショップにせよ、それ用の機器を製造・販売してる会社にせよ、これをメシの種にしてらっしゃる方々の商売の邪魔をするつもりは毛頭ないんですが、のす爺ィは個人的にはこれには関心なしです。
ただ、バランス伝送への関心は無いんですが、ひとつの現象として見た場合、ウマい商売を思いついたなァ、っていう意味では、関心・・・じゃなく、感心させられました。
 
誰が始めたのか知りませんが、すごく上手に時流に乗ってる感じがします。
アナログ復活ムードに乗って、まずは MC 型カートリッジが、ビックリするような高価なものまで含め、いろいろ発売されましたよね。
 
で、それを使うために昇圧トランスもこれまた高価なモデルがいろいろ発売された。
今じゃハイ・ゲインのフォノ・アンプもたくさん出てるんだけれど、何となくトランスを使った方がマニアックな雰囲気だし・・・ってな理由からかどうかは知りませんけど、とにかくトランスにはたくさんの機種が出てます。
 
そこで、どうせトランスを使うんだったら、これをちょいと改造してやれば、MC 型カートリッジとこれとの間で確かにバランス伝送が可能になると・・・。
う~む、素晴らしい思いつき!
 
これが他の機器の場合にはホット/コールド間で位相を反転させたり、それをまた元に戻したりして、そのために信号の扱いが複雑になりますから、バランス伝送をやったために却って音質が劣化する可能性があります。
でも、MC カートリッジと昇圧トランスの間なら、元々トランスを使うことが前提なわけで、特にそのために機器が増えるワケじゃありませんから、音質の劣化が起きる要因は無い。
 
つまり、もっぱら外来ノイズをキャンセルするというメリットだけを享受できます。
とは言いましても、バランス伝送にしたからと言って音質そのものが向上するわけじゃないんで、たかだか 1 m 程度のケーブルで、しかもさしてノイズの多そうな環境で使うわけでもありませんし、実質的に何らかの効果が期待できるとは思えません。
たぶん音は単芯ケーブルを使った普通のフォノ・ケーブルとまったく変わらんでしょう。
 
でも、これって、製造して売る側の立場からしますと、音が悪くなる心配がない、ってのは結構大きなメリットですよね。
だって、それ用の新商品を簡単に開発(?)できるし、なんだかんだでそれらの値段を少々つり上げてやったところで、オイ、かえって音が悪くなったぞ!なんていうクレームが来る恐れはありません。
 
昔、味の素の販売を伸ばす方法が社内で検討された際、容器の穴を大きくする、っていうアイデアを出した男がいて、実際、その通りやったら売り上げが倍増した、っていう話を聞いたことがありますが、これもちょっとそれに似たところがありますよね。
 
いやいや、商売の邪魔をしちゃあイカン、とか言いながら、結構邪魔になりそうなことを言ってるなァ、我ながら・・・。
 
ですけどね、ハッキリお断りしときますが、前にもどこかで言ったように、のす爺ィは、オーディオって必ずしも理論的・物理的な理屈だけで割り切れるものじゃなくって、気分と言いますかイメージと言いますか、まッ、そんなものも含めて楽しむのが本来の姿だと考えてます。
 
だから、例えばのハナシ、ブラインド・テストの結果なんぞに踊らされて右往左往する必要は毛頭なくって、目で見ていかにも音が良さそうなら、それも立派な性能のひとつだと・・・。
・・・ですので、実質的な音質向上効果の無いものはすべてインチキだ!詐欺だ!などとは、露ほども思っちゃいません
 
論より証拠、のす爺ィ自身、外観のデザインは言うまでもないとして、ロマンチックなモデル名(!)にまで惹かれて購入する製品を選び、そのために結構な額の金を出してます・・・〔笑〕。
 
まァ、フォノ・ケーブルのバランス伝送に関しては、必要は発明の母っていう言葉より、需要は作り出すものってヤツの方がピッタリくる商品企画であるとは思います。
でも、だからと言って、これを買って使うのが愚かだの、無意味だのとは決して思ってません。
 
この点につきましてはハッキリ申し上げておきますね。
別に誰かれの商売の邪魔をしたくないから言ってるわけじゃありません、これがのす爺ィの本心からの言葉です。
 
なんか、今日は文字通り脱線・脱線・また脱線って感じでタイトルとは何の関係もないおしゃべりに終始しちゃいまして大変失礼いたしました。
次回はちゃんとプレーヤーを準備してから更新するように致しまーす。
 
 

SPU とAmphion _03

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今日は一日休みを取ってゆっくりしましたんで、SPU シリーズを Luxman E-1 を通して Amphion のアンプに繋ぐべく、TD125 Mk II RMG-212 を取り付けました。
 
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前にお話ししたように、このアームはすでにアーム・ボードに取り付けを済ませてまして、だから、今まで使っていた SME 3009 S II からボードごと取り換えるだけですから、大した作業じゃありません。
でも、オーディオ装置の入れ替えって、実際には例えば機器が部屋の隅っこに設置してあって一方向からだけしかアクセスできなかったり、簡単に差し替えるだけのはずの RCA プラグがなかなか抜けなかったり、現実にやっていくと結構メンドクサいことが色々出て来ちゃうもんです。
 
このプレーヤーも一番手の届きにくい所に押し込んでありまして、なんやかんやでひと汗かきました。
が、まァ、そうは言いましても、基本的にはボードごとの交換ですからムツカシイことは何もありません。
自他ともに許すブキッチョなのす爺ィでも、作業をやりながらブログ用に写真を撮っておくだけのユトリがありましたんで、SME を外した状態をご覧に入れますね。
 
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外した SME はこちら、最近はもっぱらこの AT-33E を付けて聴いてました。
これと Amphion のアンプの相性は、も~実に実にバッチリでしたんで・・・。
 
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このアームも一時は TD-321 に組み合わせてやろうなんて考えたこともあったんですが、あれはやっぱりやらなくてヨカッタ・・・。 http://blogs.yahoo.co.jp/giovanni_xxiv/54459023.html
フォノ・ケーブルもソケットもオリジナルのまま、ただしケーブルの長さだけは切り縮めて、ピン・プラグも非オリジナルになってますが、あの SME のプラグは前にも言いましたように、のす爺ィはキライですわ。
 
で、この TD-125 Mk II には、今のところこの三本のアームを、すぐ取り付けられるように準備したわけですが・・・

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ふと気が付いてみると、この三本って、フォノ・ケーブルのソケットが全部異なってて三者三様なんですね。
SME は言うまでもなく専用のヤツですし、オルトフォンの二本はどちらも 5 pin 型ながら、オス・メスが逆になってる。
だから、アームを交換する時にはケーブルもいっしょに交換することになります。

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左の赤いケーブルは RS-212 用のごくフツーの 5 pin で、右のが SME、今後はこれ以外に RMG 用のヤツも用意しとくことになるわけです。
もちろん、どれもなるべく短く切り詰めてます。
 
さてさて、アーム交換が済んだところで、まずは SPU の中でも最近まで“のす爺ィ号”に付けててどうもイマイチだった Meister Silver を聴いてみました。
シェルターのトランスと Trigon Vanguard II っていうフォノ・アンプから、今度は Ortofon T-30 っていうトランスを介して Luxman E-1 という組み合わせです。
 
フォノ・アンプから先は変更なしで、Amphion Line に入ることになります。
ちなみに、トランスを何にしようかとちょっと迷ったんですが、こうやって試聴目的で使うにはインピーダンスが何段階にも切り替えられる機種の方が便利だろう、ってんでコレにしました。
 
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で、その音なんですが、うん、悪くない・・・どころか、かなりイイ。
少なくとも、今まで聴いた中では Meister Silver として最良の音を出してます。
元々、このプレーヤーを用意したのは、アンプが Amphion になって耳を刺すような鋭さはかなり影を潜めたものの、その代わりに潤いが不足しがちになった・・・そこで適度の潤いを加えることはできないだろうか、っていうところからでした。
 
その目論見は完全に達成されたと言えます。
あとは、ネオジム磁石の採用に起因すると思われる、あの過度の鋭さがどの程度まで気にならなくなってるか、ってことでしょう。
これはしばらく使ってみないと何とも言えない。
ですが、チョット聴きした時点では、耳を疲れさせるほどの鋭さは感じられません。
 
まッ、しばらくこの状態で色んなレコードを聴いてみたいと思ってます。
 
ところで、その合間に他のカートリッジもいろいろチョイ聴きしてはいるんですが、そうこうするうちに時間の経過とともに、Amphion の音色に目を・・・いや、耳を眩まされてたのが少しずつ収まってきてまして、そうすると、やっぱり色んなカートリッジそれぞれの固有の音色が聴き分けられるようになってきます。
 
で、例えばですね、当初は、おおッこれが本来の性能であったのかっとばかりにのす爺ィを感激させた、例えば ELAC ・・・、あれはやっぱりダメですね。
感動させてくれたのは Amphion の音であって、ELAC じゃなかったたことがハッキリしてきました。
 
それにしても、あれを高く評価する人が結構いるってのが、のす爺ィにはどうもよ~分からん。
かつては、確か瀬川冬樹氏もそれなりに評価してられましたし、アンプ選びの際に知ったFIDELIX の社長氏のサイトでも、シュアーと思しき米国製の MM 型よりもこちらの方が好ましい・・・みたいなことが書いてあった。
 
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ですが、のす爺ィには、どうしてもあれはダメ・カートリッジにしか思えません。
まァね、いや、そりゃ、お前の鳴らし方がヘタなんだヨ、って言われりゃ、そうなのかもしれませんけど、あれって、そんなに高度なマニアでなきゃ使いこなせんというような種類の製品でもないように思うんですよね。
 
それと、あと Shure V15 type III ね、これもやはり本来の音色が前面に出ます。
本来の音色、って言うのは、あの高域の鋭さです。
 
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こちらは同じ MM 型なれど、ELAC のような眠たさ、ダルさは微塵もなく、むしろ目の覚めるような音がするんですが、多くの場合LP 片面を聴き終わる頃にはそれが耳を刺す煩わしさに感じられるようになる。
もちろん、レコードにもよります。
 
が、いずれにせよ、ELAC といいtype III といい、アンプが Amphion になっても、やっぱりその本性はまったく変わってませんでした。
一瞬、のす爺ィの耳が Amphion の美音に惑わされてカートリッジそれぞれの個性を聴きとることができなくなってただけでした。
 
じゃ、今日はとりあえずこんなとこで失礼しますけど、これからしばらくは SPU シリーズの色んなモデルを、用意できた二台のプレーヤーでもって二種類の異なるフォノ・アンプを通しながら聴き比べて行くことにしますね。
追って、その結果はご報告していきたいと思ってます。
 
 

SPU とAmphion _04

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ここしばらくブログの更新を滞らせちゃってます。
SPU のあれこれについては、プレーヤーの準備はできてるものの、まだロクに聴いてなくって、だからご報告することも特にない。
 
ただ、これとは別に、毎晩の疲れがヒドくって、更新するだけの気力が湧かないっていうのが正直なとこです。
疲れって言いましても、別に激しい労働やスポーツなんて全然してないんでして、どっちかって言うと神経の疲れですね。
 
あんまり自分では意識してないものの、最近、身内に不幸があり、そのせいもあって疲れがたまってるのかもしれません。
こういう種類の疲れ・・・つまり神経の疲労ってのは安眠にも繋がらなくって、だから疲れてるクセによく眠れなかったりする。
 
眠れないと言っても、のす爺ィは不眠症じゃあないんでして、眠ることはガンガン眠れます。
ただ、眠ってても変な夢ばっかり見て、安眠してるって感覚が得られない。
昨夜も、こういう時によく見るイヤな夢を見てた。
 
皆さんは、体調や気分によって、いつも決まって見る夢ってありますゥ?
のす爺ィの場合は、乗らなきゃいけない列車の出発時刻が迫ってるのに、あれやこれやの障害に阻まれて乗り遅れそうになってる・・・っていうのが、こういう調子の悪い時に見る夢です。
 
場所は、いつもこの手の夢に決まって出てくる、どこか都会の駅でして、だけど、それは実際にのす爺ィが知ってるどこそこの駅じゃなく、夢にしか出てこない駅です。
だから、ああ、またこの駅だ、とは思うものの、内部の構造や道順が掴めてなくって、だから毎回必ず道に迷って、乗らなきゃイケない列車の出るホームに行き着けず、取り残される。
 
駅員に尋ねようにも、もう最終列車の時刻になってて、だから窓口も全部閉まってて誰も対応してくれる人がいない・・・。
この辺は日本の駅と言うよりもイタリアとかヨーロッパの駅のような感じです。
だいたい、建物というか、廊下やホールの様子も、いかにも外国の雰囲気。
 
いやいや、どうもスミマセン、愉快でもないムダ話ばっかりしてて・・・。
が、ともあれ、そんなわけで今日は一日休みを取って、午前中は寝て過ごし、午後はちょっと前に DVD を買ってあった映画を観て過ごしました。
 
ご覧になった方も多いんじゃないかと思うんですが、《存在の耐えられない軽さ》っていう映画です。
1988 年の映画だそうで、これはちょうどのす爺ィが生活に追われててオーディオとも映画とも完全に無縁の状態だった年代ですが、当時住んでいた近所の貸しビデオ屋の店頭のポスターを見たことだけはよく覚えてます。
こんなポスターだった・・・。
 
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当時は内容をまったく知らないまま、タイトルとポスターの印象から、インテリ向けのエロティックな映画なんだろうなァと思ってたんですが、わりと最近になって野晒ブログでこの映画が取り上げられているのを読みまして、それからというもの、いつか観ようと思ってました。
野晒ブログの該当頁はコレです。
 
野晒ブログというのは、映画や文学、歌など、様々なテーマを扱ってる、ちょっと他に類を見ない深みのあるブログでして、日本人必訪・必読だと思います。
だいたい、のす爺ィがブログなるものを始めたのも、この野晒与太郎先生からの刺激によるものでした。
 
この方はオーディオにはご関心がないんですが、イタリア・マニアという点でのす爺ィと重なり合うところがあり、ある時、偶然そのブログを見ておおいに感銘を受けまして、即座に野晒ファンになった次第です。
で、まずは数百頁もあるブログのあちこちを夢中になって読み漁りまして、あちこちにコメントも入れさせていただき、それに対する返事も頂戴したりして、そんなことが毎晩の楽しみになりました。
 
が、そうこうするうちに、なんか他人のブログにコメントだけしてるってのは、何っていうか、まァ別にマズいことではないと思うんですが・・・でも、やっぱり自分の側からも発信してみるのがよろしいのでは?てな気分に捉われるようになった。
 
その後、野晒先生はブログの更新を中断しておられまして、だから新しい頁はしばらくアップされてないんですが、それでも既に書かれている分だけで 500 頁以上もあり、だから当初はあちこちテーマ別に拾い読みしていたのを、最初の頁から順に全部読んで行ったりもしました。
 
中でも特に印象深い頁はパソコンに控えてありまして、時々戻っては読み返してる次第ですが、とにかく密度が高くって、一度や二度ザッと読んだからと言って理解し尽くせるものじゃありません。
で、この《存在の・・・》を扱った記事もそうした高密度の頁のひとつになります。
 
が、それはそれとして、この映画自体もまた実に素晴らしい感動的な名作でした。
これはポスターに使われてる写真のシーンだとか、ニョロニョロ書かれてる文字やらを見る限りではエロスをテーマにした映画のように感じられますし、まァそれはその通りではあるんですが、その背景をなしてるところの、いわゆる「プラハの春」の圧殺こそが本当の主役であると言うべき作品です。
 
アメリカ映画とはいえ、テイストは完全にヨーロッパ調で、実際、ロケも実質的にすべてヨーロッパで行なわれており、どうも原作者であるミラン・クンデラも制作に関与したらしい。
そう高いものでもありませんし、野晒ブログの該当頁を含めて是非オススメの映画です。
心に残ります。
映像美も見事です。
 
ただ、ここは【オーディオ】の書庫なんでオタクじみたことを言わせてもらいますと、クルマとかカメラとかの時代考証がちょっとだけズレてた。
物語の設定は 1968 年のソ連軍侵攻の前後ということになってますが、主人公の脳外科医が乗ってるシュコダは、“西側風の華美な” 装飾を排したデザインの 1969 年以降のモデルですし・・・、
 
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・・・彼の妻が使ってるプラクチカの一眼レフは TTL 測光ができるようになった1970 年以降のモデルです。
どちらも 68 年までのシーンにも登場しちゃってました。
 
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いやァ、それにしても、のす爺ィの見た夢やら映画やらのおしゃべりばっかりで SPU Amphion も全然出て来なくって羊頭狗肉も甚だしいことになっちゃってますね。
脱線はこれまでにも散々してますけど、ここまでヒドいのは初めてのような気がする。
どうもスミマセン。
 
最後にちょっとだけタイトルに合わせた話もさせていただきますと、今、聴いてみてるのは SPU Synergy です。
ネオジム磁石の Meister Silver が今回用意した TD125 Mk II に繋いだT-30Luxman E-1でもって結構な美音を響かせてくれたんで、同じネオジム系 SPU であるSynergy はどうかな?と思ってやってみてるんですが、こっちは残念ながらやっぱイマイチですね。
 
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レコードはアナログ現役時代からのす爺ィの愛聴盤のひとつだったコレギウム・アウレウムのフーガの技法です。
  
アームが多少は柔らかめの音になるオリジナルの RMG-212であるせいもあるんでしょう、例の耳を刺す刺激的な音は相当に抑えられてるんですが、いかんせん、潤いに欠けてて、ちょうど Meister Silver をのす爺ィ号に付けて〔シェルターのトランス+Trigon Vanguard IIで鳴らした時と同様の過度に乾燥した響きになっちゃってます。
 
T-30 っていうトランスはインピーダンスを切り替えられますんで色々やってみてるんですが、まァ当然と言うべきか、この傾向は変わりませんね。
また、Luxman のフォノ・アンプ E-1 MC 入力に対応しますんで、トランスを素通しにしてこちらの MC 入力でこれまたインピーダンスを三段階に切り替えることもやってみましたが、やっぱりトランスを介した方がマシな音になります。
 
それにしても出力はどう考えてもあり過ぎだと思いますね。
昇圧比の一番低い 40 Ω に設定して、ちょうど良い音量になりますからね。
実際、一番良くなるのもこの設定の時でして、公称 2 Ω という低インピーダンスも全然活きてない感じがします。
トランスをこれに合わせると昇圧比が高くなり過ぎるんですわ。
 
この辺、メーカーはどんな意図なんでしょうかね?
現行製品ですし、お使いになっておられる方も少なくないんじゃないかと思いますし、使いこなしに関してご教示・ご示唆いただけましたら有り難いところです。
今ののす爺ィのところじゃ、せっかくの高いカートリッジなのに残念なことに全然能力が発揮できてない・・・。
 
ちなみに、確認のために時々 Meister Silver に付け替えたりもしてますが、こちらはバッチリです。
かつての鋭さは影を潜め、また適度の潤いも出て、とっても満足のいく音になってくれました。
 
そうそう、これら現代の SPU の針圧ですが、取説では 3 g とか 4 g とかになってても、それよりもはるかに軽い針圧で十分なトレース能力を発揮します。
3 g – 5 g という指定のあるClassic にせよ、あるいはMeister Silver にせよ、実際には 2,5 g あれば、のす爺ィが普通に聴くようなレコードは何の問題もなくトレースします。
オーディオ・マニアの人が試聴に使うような特別に振幅の大きなレコードは無理なのかもしれませんけど・・・。
 
 

SPU とAmphion _05

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この週末は実家の掃除と周囲の草刈りや樹木の枝払いをやりに行ってましたんで、今日も足腰の痛みが・・・。
ホント、歳だなァ~って実感することの多い今日この頃ですわ。
 
ところで、最近、発達障害っていう言葉をよく耳にするようになりまして、のす爺ィは、たぶん自分もそうなんだろうなァと常々思ってましたが、そんな折、インターネットにこんな記事が・・・
 
で、この記事の中にリンクのあった「自閉症スペクトラム指数」というのを測定サイトで自己診断をしてみました。
 
なんでも、健常者の平均値は 18.5 なんだそうで、これが33 点以上になると障害のある可能性が高いんだそうです。
エッ? お前の点数はどうだったんだ、って?
 
ふっふっふ、まァ、ほぼ予想通りの値でした。
だから、それが何点だったのか早く言え! って?
いや、言います、言います。
別に隠すつもりなんか無いんでして・・・。
 
のす爺ィの得点は32 ! 事前に予想してた点数にほぼピッタリでした。
でね、この結果はまったく驚くには当たらないんですが、記事の中で、ほぉーッ!と思ったのは、原因は先天的なものであって、親の愛情不足や育て方のせいだとは考えられてないんだ、っていうことでした。
 
のす爺ィは今までかなりの程度まで後天的なもの・・・つまり、とりわけ親との関係や子供時代の学校での経験とかが関係してるんだろうと思ってましたんで、そうじゃないというのが定説だと聞いてちょっと驚いた。
 
一方、確かにその通りだよな、って思ったのは、基本的には治るということはないが、本人の特性に合わせた環境(仕事内容や周囲からの関わり方)の設定によって生きやすくなるという点です。
経験からしますと、これは非常に当たってるという気がします。
 
あと、ここには書いてありませんが、これまた経験から言えることとしましては、とりわけ本人の意識の持ち方が大きくモノを言う。
のす爺ィも以前から、これは決して治ることはないなと思ってました。
 
なので、対処法としては、まかり違っても治そうなどという努力をしてはイケないのであって、治ることはないんだ、と明確に思い定めて、あとは開き直ることです。
そうだ、俺は発達障害者だよ。 で? なんか問題あんのかぁ? 問題あると思うヤツはハナから近づいて来るんじゃねェぞ! っていうオーラを周囲にハッキリと振りまくのが肝要です。
 
こうすることによって、悶着の起きそうな人物とはあらかじめ疎遠になっておくことができますから、たとえこちらが発達障害であってもトラブルを起こす可能性はグッと低くなります。
エッ? そんなことをしたら友人ができんだろうが! って?
 
いや、そりゃ仕方ないでしょう。
発達障害を自覚したなら、どう転んでも自分には友人なんてできやしないんだってことを(ついでに言うと、女にもモテないんだってことも・・・)自覚すべきですわ。
野晒師匠のブログの自己紹介頁にも、ちゃんとisolation, desolation, alienationを感じている人向き。どこに行ってもエトランゼだと感じる人、故郷の街でエトランゼだと感じている人向き。」・・・と書いてある。
 
が、それはイイとして、SPU Meister Silver Luxman E-1 を通しますと Amphion のアンプですこぶるイイ音になるもんですから、今日はトランスを替えてみました。
(なんか、イキナリ話題を変えちゃって、どうもスミマセン。 が、これも発達障害の典型的な症状のひとつ・・・なのかどうか知りませんが、たぶんそうでしょう。)
 
でね、前に申しましたように、試聴のためならインピーダンスの切り替えのできる機種の方が便利だろう、ってんでオルトフォンの T-30 を繋いでたんですが、これをルンダール社のこんなトランスに替えてみたんですよ。
 
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以前、アンプが NEC だった頃には、これを介して E-1 に繋ぐと、アルニコ系 SPU がとってもイイ音で鳴ってたもんですからね。
だけど、Meister Silver ではどうも音が乾き過ぎるみたい。
 
が、まァ、すぐに元に戻すことはせず、このままで他の SPU をちょっと聴いてみようと思ってます。
昇圧比は 28 dB と、結構高めなんで、Synergy を繋いでみようなどという気にはハナからなれませんが、アルニコ系の SPU がどんな音になるのか試してみたいですしね。
 
さっきも言いましたように、もともとこのトランスには、RS-212 に付けた Reference G だとか Royal といったライン・コンタクト針の SPU を組み合わせてましたんで、それらが Amphion でどんな音になってるのか、近日中にやってみてご報告します。
 
本当は、あの手の Replicant 100 っていう針先のモデルは、できればインサイドフォース・キャンセラーを効かせて使いたい気分ではあるんですが、まァ、試聴ということなら、このまま RMG-212 でやってもイイだろうという気分ですんで・・・。
 
そうそう、レコードはあんまり取っかえ引っかえしちゃうと試聴の意味がなくなることもあって、コレギウム・アウレウムの《フーガの技法》のままです。
これ、すごく気に入ってるレコードなんで、アナログ復帰してから、オリジナルの独盤も新品を見つけて買いました。
 
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左が日本盤、右が独盤です。
音は独盤の方が明快ではあるんですが、日本盤も決して見劣りはしません。
ただ、日本盤はちょっと暗く沈んだ感じの音がします。
聴き方によってはこっちの方が深みがあると言えなくもない。
 
ところで、実家の掃除に行ってて会った親類の人としゃべってたら、先祖・・・という程昔の人でもないんですが、ひいばあちゃんの兄弟でバッハの研究をやって、その分野で有名になった偉い人の話が出た。
のす爺ィも若い頃に会ったことはあるんですが、なにせ偉い人だったんで、こっちは恐縮して縮こまってるだけで何を話したってこともありませんでした。
 
が、今になって思い出しながら感じたのは、ああゆう偉い人ってのはやっぱそもそものデキがフツーとは違うなぁ、ってことです。
これまた野晒師匠のブログの中でも非常に印象深い一頁なんですが、「努力」「才能」の関係について二回にわたって書かれた架空の“母校に呼ばれての講演会”みたいなのがあって、これも是非オススメの記事ですのでここに紹介させていただきますね。
 
じゃ、皆さん、お休みなさい。
 
 
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